さわやかサバイバー

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少年ハリウッド 第16話メモ

少年ハリウッドの感想メモです。

第1期(第1話~第13話)視聴済み。

小説版の内容に触れることもあります。ご了承ください。

 

 

第16話「本物の握手」

 

第1期では普通の少年達がアイドルとして自意識を変化させていく過程が

じっくりと丁寧に描かれてきました。

その間にも家族であったり友人であったり通行人であったり、外の目線から

彼らが自分自身は何者なのかを考えさせられる機会は何度かありました。

周囲の人間の持つ「私」のイメージと、自分自身の持つ「私」のイメージの

ギャップについての悩み自体は誰にでもあるものです。

しかし第2期ではそこにファンという、彼らがアイドルとして生まれたからこその

存在の目線が入ってくる。

人生を送る上で誰にでも共感できる普遍的な物語と、

アイドルでしか描けない物語がきれいに溶け込んでいる、

この作品の巧みさと深さをあらためて感じさせられた回でした。

 

 

共感を担うには私達により近い感覚の持ち主でなければなりません。

自身の魅力に無自覚で、毎日劇場に通ってくれるファンにも

どうしてそこまでしてくれるのかという思いしか抱けず、

受験の結果で人生が決まってしまうような周りの空気になじめなかったり、

自分以外の人が皆、目的を持って進めているように見えてうらやましかったり。

キラキラしたアイドルらしくない、自信の無い、今と将来に対する不安を持ったままの

カケルの考え方は私に共感をもたらしてくれます。

しかし同時に、最初からアイドルを目指してこなかったからこそ、

アイドルである自分に戸惑ったままであるからこそ、固定観念に囚われず

周りの意見を受け入れ考えることをやめないカケルだから

「本物の握手」を見つけることができた。

シャチョウすら驚かせたアイドルとしての可能性の大きさを見せながら

最後にやっぱり自信無げな口調に戻ってしまう場面は

今のカケルを表現する非常にバランス感覚のいい描写だと感じました。

 

周囲のイメージとのギャップの中でも特にファンがクローズアップされるのは

題材がアイドルだからこそなんですよね。

アイドルはファンの持つイメージと自身の発するイメージ

双方が影響しあいながら作り上げていく存在。

ファンに望まれる自分を作り上げていくという意味では

ファンのイメージの割合の方が大きいでしょうか。

キラやマッキーに話しかけてきたファンのように一方的なイメージを持つ相手に

キラが結果文字通り振り回される(笑)ことになったり

(キラもサービスの方にばかり気を取られると精神的に振り回されかねないよってこと?)

シュンが身の丈に合った以上の買い物をする羽目になる側面をきっちり描きながら、

カケルに話しかけてきた子のようにファンの持つイメージが

彼らが進むべき道を照らしてくれることもあるのだと描く、その世界観が好きです。

何かを誰かを応援する時、そんな風に相手を押し上げる存在となれればいいですよね。

しかしファンの持つ勝手なイメージだの、

身近な接触でお互いに満足してしまい将来潰しかねない可能性だの、

扱いによってはネガティブでドロドロになりかねない所を

避けることなく、でもどぎつく感じさせず、安心して楽しめながら

根本にある人が人を好きになり応援したいという気持ちで

未来の可能性を温かく照らす結果に持って行く手腕はやはりただものじゃねえです。

あとカケルに話しかけた子は握手会イベント知らずに

偶然カケル見つけて話しかけたって考えるのは夢見すぎ?

 

第7話でカケルがメンバーに促されて初めて歌う場面の通りと

今回カケルがモノローグ中に振り返る通りは同じ所のように見えました。

第7話は自分の中に育ってきたアイドルであるという自意識を

外の世界に向かって初めて発する回です。

そして今回はアイドルとしての活動を始めて発信したイメージがファンから返って来て

そのギャップに悩むという回でもありました。

カケルに自分は何者であろうとしているのかという問いが突き付けられる回という意味では

共通していますが、第7話時点では外の世界にとってまだ何者でもなかったカケルが

第16話時点では知っている人の規模は小さいものの

「アイドルの風見颯」として存在している。

他の方の感想で「カケルは普通である自分に飽きているが、普通に憧れてもいる」

という意見を以前拝見しました。

道路に駐停車禁止のマークが描かれる「立ち止まれない流れ」の中で

普通に働く人の背中をうらやましいと思いつつ振り返る。

しかしアイドルとしての活動を始めたからこその悩みを持つカケルは既に

その普通の中には入れません。

アイドルとして特別な存在であることと普通の間で揺れ動き悩むカケルだからこそ

そのギャップを自分の力にしていく道を

見つけることができたという回だったのかなと思いました。

 

 

カケルは受験生になってしまったことで否応なく

自分の望むままの自分でいられないのかもと感じ始めていますが、

トミーとシュンにも「夢を見なくなった」というワードで日常会話の中でさらっと

彼らも変化せざるを得ない点に触れているのが上手いですよねえ。

以前アーティストを目指していたシュンは何カ月もギターに触ってない、

トミーは寝ている時に見る夢を最近見ない。

シュンはアーティストを目指していた動機がモテたい!だったことに気付いた過程があるので、

夢が変化して来て、ギターはそれほど重要ではなくなってきたという

可能性もあるのかなと思うのですが、トミーがね…

悪夢を見なくなったのなら喜んでもよさそうなのに、なにその表情…!

個人的に第2期に入ってからのトミーには

ドカンと来そう的な意味でドキドキさせられっぱなしなんですけど。

また、「夢を見なくなった」ということは「夢の入り口(第1期OP歌詞)」を経て、

「真っただ中の君(第2期OP歌詞)」であることを表してもいるんだろうなと思いました。

第5話「エアボーイズ」の

「訓練時代の方が、ずっと夢を見てられたっていうか、夢の近くにいる実感があったっていうか」

という台詞も思い出したり。

 

カケルが三者面談後に自分を好きでなくなったように感じるということと、

いつも未来に対して少し怖く感じていることは掴めていないので考え中。

「あー受験嫌だなー」ではなくて、

自分を好きでなくなる考え方の道筋ってどうなっているんだろう。

ここもギャップに対する悩みが自分の内の方に向かっているってことなんだろうか。

未来が少し怖いのは第8話でも出てきましたよね。

アイドルになること自体がそもそもまったく考えてなかったことだから、

自分の意思で先の分からないその道を進むことが怖いということなんだろうか。