さわやかサバイバー

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少年ハリウッド 第24話メモ

少年ハリウッドの感想メモです。

第1期(第1話~第13話)視聴済み。

小説版の内容に触れることもあります。ご了承ください。

 

 

「まわりっぱなしの、この世界で」

 

ゴッドにとっての永遠に続くアイドルとはファンによって語り継がれ、

次に生まれ来るアイドルによって意思を受け継がれていくものです。

ファンに、世間に忘れ去られることが死であり、

受け継ぐ存在の誕生によって新しい命を吹き込まれ、再び生まれ、続いていく。

(これが最初に語られるのがゴッド本人からではなく、ダイチによってというのがまた

新生が人によって受け継がれていく存在だということを表しているようで面白い)

ゴッドにとっての「少年ハリウッド」とは「概念としてのアイドルを受け継ぐ少年ハリウッド

と言い変えられると思います。

かたや、今のシーマにとっての少年ハリウッドとは

「あの時のメンバーで構成された唯一無二の存在としての少年ハリウッド」です。

だから新生少年ハリウッドが存在してしまうと自分の中の「少年ハリウッド」が殺されてしまう。

かつてのメンバーでもう一度何かを成すことが彼にとっての永遠です。

たとえ彼の語るハリウッド東京の存続の形が実現されたとしても

アイドルは誕生し続けていくかもしれませんが

シーマが死んでしまえば「少年ハリウッド」という存在は断たれることになります。

 

二人の「少年ハリウッド」に対する想いの形はそのまま今の二人の姿に重なります。

ゴッドはシャチョウという次の名前を手に入れたことで自身も新しく生まれ直し

新生少年ハリウッドを作り上げていく。

本名のままアイドルとしても活動していたシーマは名前が不可分であるように

夢を終わらせることができず、そのまま大人になってしまっている。

死ぬことができないから、生まれ変わることもできない。

あれだけ強引に事を進めておきながら、

ダイチと話した時の表情や第23話の次回予告の台詞から

シーマ自身、無理を押し通しているのは承知してるし

それが分かっていても諦められないことに苦しんでもいるようです。

今回、シーマの口から彼が「シャチョウ」となった事実が語られましたが、

ゴッドは「シャチョウ」という役割をシーマに受け継がせることで

シーマも生まれ直させようとしたのではないかと思いました。

夢を終わらせられなかった者の想いは分かりすぎるほど分かるから。

 

また、「シャチョウ」となったからには新生メンバーを間近で見ざるを得ない訳で

そうすることでシーマに新生メンバーの存在を認識させようとしたのかもしれません。

あの頃、初代シャチョウに君はいい入れ物だと言われ、

ファンの、たくさんの人の思いを引きつけ受け入れていたシーマという空っぽの器は

今では彼自身の思いでいっぱいになっています。

新生メンバーを知っていくことで彼の器の中に

新生メンバーという中身を入れざるを得ない状況にさせて、

そこに何か起きることをゴッドは期待したのかも、と思います。

 

 

その新生メンバーはといえば「まわりっぱなしの、この世界で」というタイトルが表すように

自分たちではどうしようもない事情に振り回され危うい雰囲気のままCM撮影をしていました。

そんな状況の中投入される人が劇薬な上に、それに引っ張られるように

展開が超斜め上ハイジャンプで…(笑) あのこれ、どう、えええ?

あのやりとり、CM撮影スタッフにどこまで聞かれてるんだろうとか

変な所が気になってしまいました。

テッシーが「時間がかかってしまって…」ぐらいしか言ってないから聞かれてはないのか…

「シロートくん」がどこまで事情を把握して、どういう思いで、あの一連の行動に出たのかは

正直掴みきれませんが、様々な外的事情に振り回されている新生メンバーを

象徴するようなコーヒーカップの上でさらにそれを加速させ

遠心力で「事情」を吹っ飛ばして、彼らが本当にどうしたいか、本当に大切なことは何か、を

吐き出させる後押しとして登場したのかな、と思います。

事情で身動き取れなくなってしまっている彼らにはあれくらいの、その、なんだ、

常識からかけ離れたパンチが必要だったのかも。

 

特にトミーはこのエピソードに入ってから見てるの辛い場面が多くて

胸が締め付けられることもたびたびだったんですが、

その一方でいらだちや不安をメンバーに対して出せるようになったことが嬉しくもありました。

初代と新生、両方が彼にとって大きな存在で、それだけに感情の板挟みになって

一番追い詰められてて、辛いよなあ…

トミーにとってのこれまでは「少年ハリウッド」を自分のものとする道のりだったと思います。

生きる上での大きな支えだったその存在に自分がなったものの、

まだ憧れという自分の外側のものという面が大きかった初期から、

自覚し、初代トミーに永遠を目指す、と宣言する所まで辿りついた。

しかし人に「少年ハリウッド」を取り上げられる事態になれば

それでも自分は少年ハリウッドであるということを示せるまでには至らず、揺れてしまう。

ここでトミーによく関わってくるのが、キラとマッキーという

喪失を経験している二人なのは納得でした。

キラとは少年ハリウッドへのスタンスの違いから衝突することにもなったけど、

そのキラは「自分はどうしたいか」に気付けば、

その先の道を自分のものとして進むことができることを知っている。

マッキーは喪失の先に自分だけにしか手に入れることができない輝きがあることを

示してくれた。

だからこの事態を乗り越えた先、きっとトミーも

揺るぎない強固な想いを手に入れることができると信じています。

そしてこれはまったくの妄想ですが、初代に対しての思いが強く

初代をよく知り自分に重ねてしまうほどのトミーだからこそ、

シーマに何か訴えかけられるものがあるのではないかと期待してしまいます。

 

毒舌系マスコットの嵐のようなパワーによって

「事情」を吹っ飛ばされ(そりゃもうグッタリするほど)

自分たちがどうしたいか、本当に大切な事は何か、に立ち帰れたように見える新生メンバー。

さりとて状況は変わらず、「シャチョウ」はシーマになったということを聞かされ

動揺したりしています。

しかし、風向きはやはり変わってきているように感じます。

全く嬉しくなかったCMもファンのみんなは喜んでくれていることを知る。

そこにいる自分たちは楽しそうに見える。

先はどうなるか分からなくても、今、自分たちは少年ハリウッドとして輝いていて、

それを光として受け取るファンがいる。

第23話では不安な状況でもステージ自体は楽しいと感じることが

自分たちがどうかしてるんじゃないかと思う材料になっていましたが、

同じような状況でも今回は「今」「ファンがどうとらえているか」が主軸になり、

そこに希望があるような感じ方に変化しているように思いました。

変わることを拒絶するシーマによって変わることを強いられる。

生まれ直すことができなかったシーマによって、

積み上げたものを一旦壊すこと、ゼロに立ち帰ることを指示される。

自分たちを少年ハリウッドにしたシャチョウに手放されることによって、

なぜ自分たちが少年ハリウッドでなければいけないのか考え始める。

遊園地のコーヒーカップのように、まわり続けていく世界のように、

外側の事情によって「変化させられる」ことに振り回されていた新生メンバーは

それらを「自分たちが変化していく」ためのものとしてとらえ始めている。

最高にぐるぐるした結果、彼らが到達したのが

「先はどうなろうとも、今、ここにいる自分たちは少年ハリウッドである」という

消えることのない事実。

誰にやらされるわけでもなく、自分たちが自分たちの足で少年ハリウッドとして立った。

少年ハリウッドとして自分たちを育み、守ってくれたハリウッド東京に

感謝の気持ちとして灯されたメンバーの色のサイリウム

胎内に瞬く新たな命の光のようでもあります。

 

しかし自分たちを確立することができたら、閉じこもっている場所から出て来て

また世界と繋がってほしいと思います。活躍する彼らがやっぱり見たいんです。

最後そう思えたのも、たとえ今のハリウッド東京が壊されたとしても

そこいた自分たちが消える訳ではないと彼らが確信してくれたからだと思います。

その時ハリウッド東京が無くなるということは、居場所がなくなることではなく、

そこを飛び出しても歩んで行ける存在になったことを証明してくれると

既に意味合いが変化しているのではないでしょうか。

雷鳴と雨の中、「シャチョウ」に見捨てられたと思ったメンバーが

絶対であるはずシャチョウの命令に反して自分たちで「少年ハリウッド」を作り上げる

という展開は小説版の初代が辿った道でもあります。

明らかに初代と重ねてあるこの展開、初代を越えなければいけない新生メンバーは

どういう行動を取るのかとても気になります。

でも次回予告見たらまだ出てきてないな(笑) 何してるんだろ…