少年ハリウッド 第25話メモ

少年ハリウッドの感想メモです。

第1期(第1話~第13話)視聴済み。

小説版の内容に触れることもあります。ご了承ください。

 

 

「瞳を閉じる日が来ても」

 

自分たちの死を正面から見つめ、受け入れた上で最後の瞬間まで

自ら少年ハリウッドとなり続けていくことを決意した彼らの姿とその表明が描かれた第25話。

それが爆笑モノマネ大会(ただし身内ネタ)から繰り出されるとか予想付く訳ないじゃんね!

第24話で前向きになった後だったので割と心安らかに見れていたものの、

今回含めてあと2話しかないのにこんなことしてていいのー!?いや面白いですけどー!?と

予想の付かなさに翻弄されながら笑っていたら、そこからさらに急転直下、

彼らの至った境地を描く展開になるとは。

笑って一旦フラットになった所にど真ん中直球でテーマに入られるから余計響くんですよね。

無茶苦茶な飛び方をしているように見えて、

着地してみるとその道筋で描きたかったものが見えて納得させられる。

最後まで話のコントロールの仕方に圧倒される作品です。

 

 

永遠という、とてつもないものを追い求めながら

この作品はいつも物事には必ず終わりが来ることから目を逸らしていませんでした。

終わりありきの中で、どうすれば永遠となる道を見つけられるのか。

初代の「少年ハリウッドを永遠にする方法」は、一番輝いている時のまま終わりを迎え

ファンの中で永遠となることでした。

今回新生メンバーが見つけた方法は、終わるその瞬間まで今を輝かせ続け、

その光で終わりのその先を照らし続けるということ。

初代が死によって少年ハリウッドという存在を閉じ込めるという死の受け入れ方なら、

新生は常に死と共にあることを認めながら最後まで歩んでいくという、

未来に開かれた死の受け入れ方なのかもしれません。

そのように言うこともできるかなと今回見て思いましたが、

これが新生の見つけた永遠なのか、初代と違う道を見つけたと言っていいのか、

まだよく分かりません。このことはもう少し考え続けていこうと思います。

 

しかし、「少年ハリウッドの死」に直面することで

新生メンバーが自ら少年ハリウッドとなることを決意したのは事実です。

今回は入り口がバリケードで封じられているにも関わらず

ゴッド…シャチョウがハリウッド東京に戻ってきたことや、逆光で顔がよく見えないこと、

続いて入ってきたシーマも初代のサインが入った旗をこれ見よがしに担いで来たりといった

妙に現実離した印象の場面が最初の方でありました。

冒頭が新生メンバーが眠っている場面から入っただけに、

これは誰かの見ている夢なんじゃないか、夢だとしたら誰の夢なんだ、

みんなで同じ夢見てるのかと少し混乱したのですが、

この騒動がシャチョウの仕組んだものであったということが明かされて

その違和感の正体が分かりました。演技くさかった訳だ。

新生メンバーが以前公園で話し合った時、カケルのシャチョウは本気なのかという疑問に

シュンが「冗談でも困るだろ」と返しているのを見て

ひょっとしてシャチョウが新生メンバー成長させるためにわざとやってるんじゃないかという

可能性も頭をよぎったのですが、シーマの想いをそんな風に扱うはずないだろうし、

この作品が「少年ハリウッドの死」をダシにするような展開はしないだろうと思ったんです。

なのでシャチョウのネタばらしが来た時に一瞬嫌な汗かきそうになりましたが、

そこは突きつけられたシーマの刃は本物であったということで

上手くバランスを取ってくれたように思います。

でもシーマさんの正直な新生への気持ちだとか変化の過程とかすげえ気になるんですけど!

本当に納得したの?じゃあその歳でそこまで成り上がった原動力はなんだったの?うおお…!

 

もし今回のことがシャチョウによって仕組まれたものでなければ

新生は明らかに終わりを迎えていたはずで、

まだ自分たちではねのけるだけの力はないのだということも実感しました。

第1期の終盤も完成したと思った所に初代の、ゴッドの力を再確認させる場面が入り、

まだまだ新生には越えるべきものがあることが示されました。

物語のクライマックスを感じて視聴者としてはそこで満足してしまいそうになるんですが、

同時に彼らの今の時点での力を見せられることで、ちょっと目が覚まさせられるというか、

「いやいや彼らはこれからなんですよ」と第1期も第2期も再認識させられますね。

ハッとすると同時に、それはまだこれからも彼らの成長の物語はあるのだと感じられて

嬉しくなります。

 

新生少年ハリウッドの死は結果的に避けられましたが、今回死を迎えたものはありました。

彼らは自分たちの意志で少年ハリウッドとなったことで、

ステージだけが自分たちの居場所だと認めたことで、

自らの足で「普通の人」とは違う場所へと踏み出してしまった。

今回は「死んだように」眠る新生メンバーの様子から始まり、

「一度開かれた少年ハリウッドの目はこの世界で永遠に閉じることはない、きっと」

というカケルのモノローグで終わります。

普通の人としての彼らは死を迎え、今この時の自分を全て

少年ハリウッドとして捧げる存在に生まれ直してしまったということなのでしょう。

私は彼らを意識からアイドルへと変えようと導くシャチョウのやり方を

恐ろしいと感じたことがありました。同時にシャチョウはその恐ろしさも、

それが分かっていてもやむにやまれぬ自分のエゴイスティックな願望であることも自覚していて

時に迷いながらもそれを新生メンバーには見せずに進んできているのだとも思いました。

だから今回のことはシャチョウの最後の迷い、罪悪感の表れでもあったのかなと。

ここで自分たち以外の事情によって少年ハリウッドでなくなってしまうことになっても

彼らはまだ、それまでの活動をシャチョウに「やらされた」ものだったとして

その後の人生を送ることができる。

しかし自分たち自身の意志で少年ハリウッドとして生きる覚悟を決めてしまえば

誰のせいにすることも出来ないし、もう後戻りすることもできません。

それでも前に進むのか、新生少年ハリウッドにとっても、シャチョウ自身にとっても

見極めるためとして仕組んだことだったのかもしれません。

第2話は一見輝かしいアイドルの道へ進むことを

友人たちとの世界との別れの第一歩として描き、

踏み出すカケルの表情は最後辛そうにしかめられていました。

そして今回、完全な決別を彼らは覚悟を持って、しかし明るい表情で迎えている。

ひとつのことに今の自分の人生を捧げてしまう恐ろしさの中へ、

とりわけアイドルという人に求められる部分が大きく、

この作品の中で生贄にも例えられる存在となる道を

自らの意思で、笑顔で進んで行こうとする彼らの成長を感じると共に

どうかそこでしか得られることの出来ない喜びを見つけてほしいと願わずにはいられません。

 

 

新生少年ハリウッド結成当初、普通の人の持つ自意識のままにアイドル活動を始めた彼らに

「なりきる力」を付けるために「エアボーイズ」という舞台を行うことが決められました。

そこで自らを内包するような役柄を演じた彼ら。特に第23話からのエピソードでは

 

「どうせみんな死ぬかもしれないんだろ?

 早いか遅いかなんだろ?」

「お前はそれでいいのかよ。

 自分から『もうすぐ死ぬ人間』として生きてるだけの存在になるのか。

 俺は嫌だ!どんなことがあっても死ぬその瞬間まで今をちゃんと生きたい!」

 

という会話の箇所が現実のものとなったような展開でした。

その時内包していたものを実現しながら、アイドルになりきりながら、

少年ハリウッドになりきりながら、ここまでの道を歩んできた新生メンバー。

そうして歩んできた道の末、一つの集大成としての

少年ハリウッドのモノマネ」だったのだろうなと思います。

神がかりのように、役をその身に降ろしながら、やがてそれとひとつになっていく。

役や、それを行う場所すらも自分のものとしたことの表れだったのかなと。

始まった時はびっくりしましたが。そして笑いましたが。

マッキーのモノマネに大声で笑うカケルがめずらしくてかわいかったよ…

おそらくそこまで細かくは考えずにカケルに「少年ハリウッドのモノマネ」をさせる

マッキーのリリース力ってやっぱり凄いなと感じた所でもありました。

第12話もだけど、その時に大切なことを感じ取れる、そして言葉にできる力を

マッキーは持ってますよね。受信と送信の…ハッ、こういう時にこそ言うべきなのか。

\最強アンテナ野郎ー!!/ 

 

 

自分たちで自分たちの命の形を掴んだ少年ハリウッド

いよいよ後は再び生まれるだけ、2度目の誕生日を迎えるだけです。

世界のこちらで待ってるよ!