さわやかサバイバー

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コンクリート・レボルティオ~超人幻想~ THE LAST SONG 第18話感想

セイタカアワダチソウ

 

前回の超スケールから一転、今回は

親子という最少単位の「大人と子供」の組み合わせの物語が描かれました。

その小さくシンプルな繋がりの物語を通すことで、時代やしがらみから離れた

主人公爾朗にとっての原点とこれからが見えてきたように感じました。

 

続きからネタバレ感想

 

 

第1期の爾朗は超人課という国家に属する機関で

超人と人間との最大公約数の幸福のために働いていました。

時にそのくくりからこぼれたり外れてしまう存在や想いがあることを知りながら

やがてそれが人々のためになると自分に言い聞かせ続けていた。

そして超人課が設立の際に理念を実現するためとはいえ

超人と人間を自分たちの目的のために利用していた事実を知り、

超人課を離れることとなります。

離れた後は犯罪者扱いになっているものも含め、

「全ての超人を守りたい」という、ずっと抱いていた本来の願いのために

超人課や保安隊と対立しつつ動いていた訳ですが…

全て全てってお前結局何がしたいんだよと今回各方面からツッコミを受けることに(笑)

「もういっそ退治しろよ!」って落ちぶれた相手に言われるとかどんだけ。

 

組織を離れ、自分の足で超人を守っていく道を爾朗は歩き始めました。

組織に居ては守れないものを守っていくための選択でしたが、

そうなると所属していたころには与えられていた指針を

自ら決めないといけないこととなります。

第15話では「まだ迷っている」とアキに告げていました。

簡単に答えが見つからないのは、超人課という枠を取り払った自分の目で

様々な正義が錯綜する世界の混乱やそれに苦しむ人々の姿を見たからこそですが、

それを経て「ではどうする」という問いを突きつけられる時期に来たということなのでしょう。

 

爾朗は「子供を守る」ことを選んだ若村さんを支持することを宣言しました。

この場面、「自分を正義の超人として見てくれる(見てくれた)」夕子・輝子の視線の先に

そんな存在でありたいと願う若村さんと

彼のカーブミラーの仮面に映る爾朗が居るというのがとても象徴的です。

カーブミラーは「見えにくい道を見通すためのもの」でもありますし。

 

この少し前の場面で夕子が「ニンゲンマンを助けてあげて」と

お父さんに呼び掛けるってことは

お父さんは憧れの超人を助けることのできる、同格の存在なんだと

言ってくれていることなんだと思うんです。

それを、自分が子供の理想を受け止める大人であることを知った後、

若村さんはニンゲンマンにはならない。

彼にとって守りたい、理想を叶えてあげたい子供とは娘の夕子で、

超人でなくても、父という大人であればそれができると分かった。

超人である必要がなくなった。

しかし、爾朗にとっての「理想を叶えてあげたい子供」の原点は

「幼い頃の自分」なんだと思います。

だから自分が子供であることを自覚しつつ、

超人という存在を追い求め続けずにはいられない。

 

今回爾朗はこれからも超人病に苦しむ人が出ることを知ってもなお

超人であり続けたいという若村さんの側に付きました。

それは全ての超人を守りたいという理想を割り切り、

自分の容認する正義以外の存在を切り捨てる選択をしたということなのでしょうか。

そうではないと私は思います。それは第1期の彼が既に通っている道だからです。

様々な正義を見てきた結果、やはり立ち返る原点、

苦しむ人がいようとも捨てることのできないその想いは

業やエゴといったものなのでしょう。

しかし今回の爾朗の選択は「全ての超人を守る」という道の指針として

「子供を守るのが超人」という方向を選びとったのだと思います。

この「子供を守る」というのは年齢が幼いというだけではなくて、

誰の内にもある心の中の子供の存在を守るということなのではないでしょうか。

人々のために善い行いをする正義の存在がどこかにいると信じたい幼い願い。

自分もそんな存在になれるのではないかという希望。

成長するにつれ時代や、国や世間といったものに歪められ消されていってしまう想い。

物理的に守るということから、

そういった心情を守る方向にシフトしたということなのではないかと感じました。

 

それは「現在何であるか」ではなく「何でありたいか」を重視する方向のものです。

国や誰かの尺度で決められたから正義の存在となるのではなく、

善き存在であろうとし、善き行いをしようとする心を持つ人が正義の存在なのだと。

そこには身体的に超人であるかどうかとか、超人としての力の大小は関係ないのだと

天弓ナイトの真実、マウンテンホースを見る風郎太の言葉などから

感じ取っていったのではないでしょうか。

 

「魔女だから、そもそも正しいことをしたら変でしょ」と輝子は弱く呟きます。

魔女であることのコンプレックスの裏返しでもあったのでしょうが

「私はそれは正義だと思います」「最後は正義に目覚めたんじゃないですか」と

相手の行動を善いものとしてとらえ、そこに重きを置いていた第1期の頃とは違い

「魔女という役割からの正しさ」から発言しているのが切ないです。

理想を抱きながら実現できなかった第1期の爾朗を見てきて、一度は失望し、

また自分も今は目的のために信念を曲げるような仕事もしている。

そんな今の彼女の心の中の子供も爾朗に救ってあげてほしいと思います。

 

 

こんな感じで、私は今回の話を原点を見つける話と取りました。

「子供を守る」という原点が指す「子供」が幼い頃の自分だけでなく、

一度誰かの理想の対象となったものとして、

そんな風に自分を見てくれた子供(夕子・輝子)も含む広がりを見せているのが

第1期を経た第2期ならではと感じました。

 

若村さんは「超人を必要としなくなる大人」であるけれども、

彼の願いを叶える過程で超人であった時間が意味を持っていたことが

今回暖かい印象を残してくれました。

そしてその願いの根っこが「大人になりきれない」爾朗と共通する所があったことも。

「大人と子供」もキーワードのひとつであるこの作品で

第2期キービジュアルの「世界が大人になるとき超人はいなくなる」という言葉のように

超人と人間が手を取りあう理想の世界を夢見ることと

大人であることは相容れないように描かれてきました。

そこにも今回の話は新しい可能性を見せてくれたように思います。

 

 

今回爾朗があの答えを出した直後に

カムペが結構な力技でラストを収めてくれたので

どういうつもりで言ったのか、今後どうするつもりなのかが分からず、

自分なりに咀嚼していった結果、

感想というより、こうであってほしいという割合の多い文となってしまいました。

全く見当違いで次回以降私もこれ読んでくれた人もウワーとなってるかもしれませんが

それもリアルタイムでオリジナル作品を見てる醍醐味ってことで。

 

 

以下箇条書きで色々

 

・ニンゲンマンがブリーフ一丁だったり、活動範囲が見事に生活圏内だったり

全然スタイリッシュじゃないところがよかったですよね。

制作側としてももうちょっとかっこつけたくなるだろうに

あそこまで思い切ってやっちゃうところがすごい。

 

セイタカアワダチソウそのものが「外来種」であるということ、

今回出てきた変種が人の超人化を促進するものだということあたりからするとこれ、

フューマーが人類の進化を目論んでやったとかじゃないの…?

課長たちだけでなくマスターウルティマの親もフューマーだというし、

彼ら以外のフューマーがまだいたりするんでしょうか。

 

・それはそうとお腹から丸ノコの奥さん大変ですね!

 

・今回の笑美の「いっそメチャクチャになればいい」発言は

帝告や保安隊に挟まれた現在の超人課が置かれている環境や

第17話からの流れで考えると、身勝手な人間に対してのいらだちが

グツグツと煮えてきているようにも感じられてなかなか怖いです。

爾朗も一向に帰ってこないしね。

風郎太への流れがギャグっぽかったから考えすぎかもしれないけど

OPの彼女が不穏だから構えてしまうだよ。

 

・帝告のポスターには「牧大鉄」の名前で掲載されてるのか。

「あの戦後最大の誘拐事件の生き残りの子が

今度は人々を守ろうと立派な志でこの仕事に従事しています!」って感じで

売りに出されてるんだろうなあとか思うと闇だ。

 

・「何でありたいか」という言葉を今回の感想の中に入れましたが、

弓彦くんの場合、成長してもここが定まってないような印象を受けます。

人一倍、己が何であるのか立場を定めたがっているのに、

警察や帝告という組織に付いたり、

爾朗がはっきりと悪となることで見極めようとしているような。

根拠を外部に求めている感じがどこか危うくて、彼の行く先も気になります。

 

・爾朗:「いつも着替え持ってるんですか」って

左袖吹っ飛ばしては、いつのまにか元通りになってるお前がそれ言っちゃうのかよ!

というかむしろ、こういうツッコミ待ちなのかよ!

そのへんはフンワリさせておく世界観だと思ってた(笑)