さわやかサバイバー

好きな作品の感想を書いています。カテゴリー一覧は50音順で並んでいます。

少年ハリウッド 自分ツイートまとめ その5

一話ごとの感想以外の少年ハリウッド関連ツイートをまとめたものです。とりとめのないものばかりなので、当時の空気感を楽しんでください。

 

TV放送終了後のあれこれ。続きにまとめています。

マッキーの誕生日にハッシュタグ付けて呟くとマッキーに届きますよ、というイベントがありました

昨日ツイッターから離れていたら、誕生日の今日ハッシュタグ付けるとマッキーにメッセージが届くとか?なんかすごいことになってて?あと3時間しかないし?何書いたらいいか迷うし?あんまりマッキー夜更かしさせらんねえし?

どこに居ようと、マッキーが少年ハリウッドの中心です。そこに居てくれることが今までどれほど心強かったか。誕生日おめでとう。これからも応援しています。

(最初に思いついたのは「タッパーのカレー食わせろや」だったけどさすがにやめといた)

 

 

ファンクラブのアカウントにてマッキー誕生日の週のライブのセットリストが公開。初代の「永遠 never ever」のCDのカップリング曲「NOEL STORY」を新生も歌っていることが初めて明かされたり色々衝撃でした

「お芝居」!?

またもや文字情報だけでテンションが天井突き抜けてってるんですが、それもこれも今までこのプロジェクトの様々な発表がそれまでの物語を背負った必然性のあるものばかりだったからなんですよ!

だからこのセットリストの発表で初お目見えなものにもきっと色んな理由とか、意図とかあるはずで…ああもう「お芝居」の練習が見たい!!馬鹿やりつつ真剣に頑張ってるはずなんだもんなあああ!

シャチョウどんな顔して新生に「NOEL STORY」歌わせること発表したの。マッキー今歌に対してどんな姿勢で臨んでるの。ソロ歌うことに対してどう思ってるの。ちょっともう気になることが多すぎて…

 

カケルくんの誕生日ハッシュタグイベント

自分でも分からない可能性や魅力にカケルくんがこれからどう向き合っていくのか楽しみです。これからも声援を投げかけるので未来BOXはいつでもあけておいてください。誕生日おめでとう! 

無粋を承知で言うなら、モノローグとして流れる分考えが分かりやすく掴める一方、本人が自覚してないからその奥の圧倒的な魅力が「こういう所が素敵なんです!」と明確に表に出てこなくて、その神秘性とギャップが「言葉にできない魅力」と言われるゆえんなのかなと思います。

カケルくんには圧倒的な何かがあるんだけど、それは自分にすごく強い何かがある人というのではなくて、アイドルという他人の主導権が大きい存在に適した何かであるので、どこまでも広がっていく可能性がある。

と、「少年ハリウッド」という「作品」を見た側からはこう考えることもできると思うんですが、向こうの実際のカケルくんを見ているファンが感じる「言葉にできない魅力」っていうのはどういうことになるんだろうなあ。

この誕生日ウィーク特別ブロマイドのカケルくんの魅力は分かりやすく言葉にできる。「あれ?これ実物見た瞬間、私塩の柱になって崩れ落ちる系だな?」

 

カケルの思っている自分のイメージを段階的に表すとたぶん

<より素に近い>
ノローグの「僕」

普段の生活で人と話す時の「俺」

ステージ上の「僕」
<より作り込んでいる>

ではないかと思います。

カケルが普段の生活で「俺」って言う時は「どうしてアイドルにスカウトされたのか分からないくらい普通な自分」のイメージで話していると思うんですが、モノローグとステージ上での一人称が両方「僕」なのは、その普通な自分よりも、素に近い自分と作り込んでいるはずのステージ上の自分の距離の方が近いことの表れのような気もします。そしてステージ上では素よりももっと深い、自分でも気付いてない深い魅力があらわになって、ファンを引き付けている。

ステージに上がることで輝く、本人が気付いてない魅力がカケルにはある、という所に気付いたのがシャチョウの鋭さなんでしょうね。第20話の台詞からするに「本人が気付いてない」こともポイント高かったのだろうな。

ブログでも書いたけど、カケルの「僕」と「俺」が両方味わえるので第7話の次回予告はお気に入りです。「僕の歌のせいで」って言ってる時は反省して内側に向いている意識が「俺、ちょっとは歌上手くなった?」で、パッっとこちらに向けられる感じがするんです。意識の方向が違っているので、一人称の違いもブレじゃないと思えるんですよね。

それとは別に第14話のシュンの「僕」は使い分けなのか、その後しばらく「僕」で行くことにしたのか、今どうなのか、いまだにちょっと気になってます。シュンなら単にキャラ作り検討中だったとかでもおいしいような気がする。

 

 

第2期のBDが届き始めました

まだブックレットと第14話見ただけなんですが、すでに大満足ですよ…相変わらずブックレットの情報が重いですよ。Q6の回答のかわいさが!もうどうしてくれようか!

第14話に出てきたチラシに書かれていたのは「Always LIVE in the BEST!」
第26話のクリスマスライブで目指すのが「最高のいつも通り」
似ているようで、自分たちの体験を通して至った「最高のいつも通り」には実感を伴った重みが増しているんですよね。

あと、この間ネットラジオ「そこあに」の少年ハリウッドインタビュー回聴き返してたら、いくよ先生が「キャットのことはいずれキャット自身が話してくれるかもしれない」って言ってたんですね。第15話のことだったのかー、って。

 

少ハリBD特典のクリスマスライブのCD聴いてて今更気付いたんですが、自己紹介の後、年少組が「また後でねー」って言ってるのは次の「赤い箱のクラッカー」の衣装替えのために袖にはけてるんですね。年少組の中でキラが最後なのは早着替えができるからなのかな?

でもそうすると年長組の自己紹介の間ステージが寂しいことになるし、2年目のクリスマスライブではその辺りも経験積み重ねて工夫してきたんだろうなあとか一人しみじみ感じてます。

 

 

トミーの誕生日ハッシュタグイベント

トミー誕生日おめでとう!その笑顔で私達を幸せにしてくれるのと同じくらい、トミーにもこれから幸せなことがたくさん起こりますように。

トミーはもっと不安や不満も言ってもええんやでと思うし、何かにつけ「命を懸けて」とか「人生懸けた」とか言うので、その想いの強さが悪い方向へ向かわないか心配にもなるんだけど、彼が今まで生きてきた中でそういう姿勢を取っていくと選択したならもうこちらがとやかく言えない重さがあるよなあと。

でもやっぱりハラハラしちゃうこともあるんだよね…!だからいくよ先生のお祝いツイートでも言われてたけど、第23話は気持ちをぶつけることができる仲になったんだなと私もちょっとホッとしました。今まで通りの態度取れないくらい追い詰められていたと考えるとそれはそれで辛いんですが。なんでもええから幸せになれや…!

 

 

BDとかその他のこととか

ボタン掛け違え続けても会話って続いていくんだな…すげーな…(少年ハリウッドBDvol.2届きました特典CD聴きました)しかしなんやかんや自分の望む方へ丸めこんじゃうシャチョウがなんか腹立たしい。

 

ファンの間でもたびたび物議をかもしている少ハリのテッシーの老けなさですが、ファンタジーもので時々ある「死んだ途端にみるみる顔が歳取っていく」パターンじゃないかと妄想したりします。

そこまで行かなくても定年になった途端すごい老けるお父さんみたいな感じで、今の仕事がものすごいモチベーションになってるんだろうな。そもそもなんでそこまで入れ込むようになったのか、っていうのが気になる所。

超ハイスペックなくせに相手に警戒心を抱かせない見た目や態度や言動は、根本の人の良さとか仕事への一途さがにじみ出てるからと思うんですが、それに大企業の営業で培ったテクニックも相当上乗せされてるんじゃないかな。そもそも大企業の営業になれるっていうのがね。

 

マッキーは鋭く細やかに感じ取る感性がある一方で、それを言葉にするのは不得意で、自分自身でもどう感じているかぼんやりとしか把握してないのかなと思います。あと感じていることにピッタリ合うような言葉の表現を知らないからこそ、味わい深い数々のマッキー語録が生まれるのかなと。

BDvol.2のCDドラマで初対面のシャチョウを只者ではない、偉い立場の人だとすぐ感じ取れるのに、敬語がめちゃくちゃな辺りからそうなのかな、と。家や学校のことも「なんか違う」という漠然とした違和感しか抱けてなかったので。

しかしその感性と言葉が合致した時はまっすぐに真理を突いてくることがあって「スーハーマスター」や「少年ハリウッドのものまね」なんかが出た時はそういった瞬間だったのではないかと思います。

「その場にふさわしい言葉」をたくさん知っているけれども、「本当にそれが自分の感じていることなのか」という所とうまく繋がってなった初期のキラとはその辺対称的だなと、そんなこと考えてました。

「自分の直感でアイドル活動を始めることを即決するマッキー」と「お母さんにお伺いを立てるキラ」というのも対称的ですね。

どちらが正しいとかいうことではなくて、見た目含め対称的なこの二人が、そういう違った部分を持つ相手をお互いの感性で認め合っていることが感じられる場面があるのが好きです。

第12話のトミーの「誰だってなかなか自分の気持ち正直に言えないよね」という言葉に即座に「そうか?」と返してるのは、確かに自覚してる部分ではそうなのだろうけど、自分でも把握してない部分があると考えると、マッキーが正直に話すのはトミーよりハードルが高くなるんじゃないかと思います。それを引き出そうとすれば、第20話のような荒療治が必要になることもあるのかなあと。

 

少年ハリウッドのインタビュー記事が載ってるspoon買えましたー。マッキーはアホの子ノルマ、キャット愛ノルマを達成しつつも、最後は真ん中ずばりの言葉で締めて行きやがって…この、このリーダーめ…!(spoon特集記事)

 クリスマスライブでカケルだけ泣かなかったシーンにモノローグがない演出は好きなんですが、あの時思っていたことが聞けるのはそれはそれで嬉しい。その今までモノローグで心の中だけで語っていたことを、自分から言葉にして話しているということ自体にもジーンと来るじゃないですか。(spoon特集記事)

また内容がね…話したいけどあんまりネタバレするのも良くないしなあ…!今までの少ハリ見て来た方なら、作品そのもののテーマに関わるすげえことさらっと言ってたよねっていう衝撃が分かっていただけるのではないかと。 (spoon特集記事)

前回の「バカなの?」とか、今回の「バーカ」とかはキラのキャラ作りの上で言っていい感じなの?きゅるんきゅるんで行かなくていいの?もうマッキーに対しては息をするようにつっこんでしまうの? (spoon特集記事)

 シュンの、とっさに的確かつ予想を頭一つ越えた例えが出てくる所すごいよね。あとこの子どんだけカッコいいと言われたいの!ばか!好き!(spoon特集記事)

細かいし賛同少なそうなんですけど、ノドに近い所にトミーの「あの…僕は?」が書かれてたのにキュンとしました。見えにくい所からそっと言ってるような感じが、なんかしません?でも欲しがりトミーな所が頭グリグリしたくなりません? (spoon特集記事)

 

少ハリfo50のBDvol.3届きましたー!特典CDドラマ聴いたらのっけからウワーってなったので呟かせてください。ネタバレ。 

冒頭のあれがですね、「あきらめないからね」とか、途絶えそうなものを復活させようとしてるとか、本人が意識してない、しかも与えられた役柄なのにシーマとのリンク感じさせるとかもう勘弁して下さい! 

どっぷりハマった人間の深読みしすぎ事案かもしれないけどさあ!少ハリに関しては考えすぎ、と思うさらにその先をいくよ先生が設定してたりするからさあ! 

展開のトンデモっぷりもすごいし、にもかかわらず面白そうなのもすごいし、本編の色々なものが投影されてるように深読みできるのもすごいし、1話こっきりの劇中劇なのに主題歌とかCMの入りが凝ってるのもすごいし、やっぱり全体的に第19話おかしいな!(少ハリBDvol.3見てました)

 

アキネーターでシャチョウを思い浮かべてやってみたらどれで出るのかな?ヒゲとか眼鏡について訊かれるまでは初代活動時代のイメージも込みでやってみよー、と軽い気持ちで臨んでみたら「あの頃に戻りたい?」という深すぎる質問が出て私は固まってしまったのだった… 

 「10代?」「たぶん部分的にそう」

初代活動時代のイメージのみでやってみたらちゃんと「柊剛人」って出ました。おお。シャチョウは今のイメージだけでやっても私の答え方が悪かったのか出なかったです。

「多重人格?」っていう質問にはどう答えればいいんだ…違うのは分かってるけど、じゃああの状態をなんて言えばいいんだ…すごいなアキネーター、考察のネタになりそうなこと結構出してきやがるな。 

 

 メリークリスマス!!(7月)(少年ハリウッドBDvol.4届きましたCD聞きました)

 ミィも胸がいっぱいだろうけどこっちも胸がいっぱいになったよ…シャチョウの声音がもうほんと…

ブックレットを読んでカケルくんとトミーは普段からそんな清らかな話してんの…と思いました。一人ずつでもなんか浮世離れした所がある二人だけどコンビになると全寮制お嬢様学校の中にあるスズランの花畑でお話してるみたいな雰囲気に何言ってるの私。

第20話は見る時ちょっと心構えがいるから特典映像だけ先に見ようと思って少ハリBDvol.4を再生したら冒頭のアホな(でも実は深い)やりとりに笑っているうちに自動再生のままあれよあれよという間に全部見てしまった。少ハリの話の流れのスムーズさは本当に心地よいしすごい。

少ハリ見てると脳に沁み込むように「ああー、いいなあー…」と感じるんですよ。流れは穏やかで無理な所が全くないのに(意図して無茶をやることはあるけど)、読み込めば読みこむほどフックが至る所に仕掛けてあることに気付くので実はとても刺激的。

 

カケルくんの一人称については何度か書きましたが、第21話も面白いですね。インタビューでは「俺」って言っちゃってるけど、雑誌では「僕」で掲載されているみたいです。つい自分の戸惑いをそのまま表現してしまっても、「アイドルの風見颯の言葉」として受け手のイメージ込みで取られてしまう。

本来はステージ上と同じようにインタビューでも「僕」のカケルくんで答える場だったんじゃないかなと思います。ただあの時はセンターのことでカケルくん自身が自分についてのイメージが揺らいでいて、それがそのまま一人称にも表れてしまった感じなのかな。

と、雑誌が横向きで映っているため首を90度にして思ってました。前半はスマホのゲームについて話してる?あとメンバーがみんな違うことができるから勉強になるって話。

特典映像も見ました。7人のぜんハリくんたちの映像ってだけで胸がいっぱいに…あと朗読劇の「今のお前の全てを記録に残して5年後のお前に見せてやりたい舞山春ラブ」的気持ち。

 

少年ハリウッドで折にふれ出てくる「ファンがいてくれるから存在できる」というような言葉は、アイドルがそういう存在である以上に視聴者がBD買ったりといった能動的な行動を起こさなければコンテンツとして存在し続けられないというメタ的な意味も含まれていると思うのですが、そういうバーチャルな存在であるにもかかわらず、現実のアイドルのファンになった時のように心を動かしてくれる。そこまで感じさせてくれるこの存在と私の気持ちは嘘なの本当なの?といった感じで電脳コイルのデンスケと絡めてSF方面から少ハリについて書けないかなと思ったことがありました。

結局まとまらなかったんですが、ただ「アニメのアイドル」という以上に強い存在感を感じさせてくれる少年ハリウッドのコンテンツの作り方と特異性はSF的な観点から考えても面白いんじゃないかと思ったことを電脳コイル配信のニュースを聞いて思い出したので。

不特定多数の人々の想いで肉付けされたイメージが意識野でさらに肥大化していく存在、とか書くともうアイドル自体がSFだな、ってそれっぽい言葉並べてみただけですスンマセン。

 

はい、アイドルアニメのBDの最終巻のパッケージが50代男性という事実を確認しました。ヒュー!少年ハリウッドはいつも公式が一番ブッ飛んでやがるぜ!

 

少ハリのランさんの誕生日だけど、あの人ホント昔も今も精神的安定感ありまくりなので言うこと見つからない感じです…いつまでも元気でいてね、ぐらいしか…敬老の日かよ…

過去も今も何をしてるか分からない未来でも、どこにいようとあるべき姿でそこにいるような感じなんですよねランさん。だから気を揉まなくてもあの人なら大丈夫だろうと思えるし、そこが魅力なんですが、それ故に言うことねえなってなっちゃう。