さわやかサバイバー

好きな作品の感想を書いています。カテゴリー一覧は50音順で並んでいます。

コンクリート・レボルティオ 第1期感想

コンクリート・レボルティオ放送当時の感想ツイートをまとめたものです。

 

続きからどうぞ。

 第1話「東京の魔女」

コンクリート・レボルティオ第1話見ました。公式サイトでキャラクターも舞台も含めた「CREATION」で一括りに分類され紹介されているあたり、超人たちの存在と時代を絡めたお話になっていくのだろうというのが第1話からも感じられましたが、では何が描かれるのか、はまだこれからといった感じ。

とりあえず、どんな感情であろうがどんな関係であろうが、少女の15歳から20歳の5年間を釘付けにしてしまった爾朗先輩は確実に罪深いよね。

個人的にはS遊星人のデザインがすごくいいと思ったので(ヒール足とか!)もっとたくさん見たかった。また出ないかな。

特撮系の歴史は詳しくないので「故郷から二つ持ってきてくれる人はおらんかったんか…」ぐらいの反応しかできないんですが、輝子ちゃんに対して「落第」云々が出てくるのは往年の魔女っ子ものによくある課題パターンなんだなーと。幸せ100個集めないと正式な王女になれないとかいう。

ただ往年の魔女っ子ものだと、やさしい人たちに囲まれてこの街でがんばっていきます!という感じだけど、輝子ちゃんは住居を転々としている様子。一般の人々の反応見ると超人の存在は当たり前みたいだけど、どこまで受け容れられているのか、どの程度異質な存在なのか、も読み解くポイントになるのかな。

 

第2話「『黒い霧』の中で」

第2話、大人になりたいと泣く風郎太に「そのままでいい」と言う爾朗の言葉は残酷です。しかし出自や物語の過程で悲しみを背負う超人に対し、人間である爾朗が「それでもあなたの存在は光なのだ」と投げかけるのが象徴的だと感じました。

変わる事のない風郎太の姿はフィクションの登場人物が画面の中や紙面で変化することなく存在し続ける一面を切り取っているようにも見えます。彼らがどんな悲しみを持とうが、人間である視聴者や読者はどうすることもできず、ただ一方的に感情を捧げることしかできません。しかしその行為は残酷であるだけではないと、爾朗の描き方から私は感じ取りました。どうにもならない悲しみを抱える人を超えた存在に、人が向けるまなざしが、彼ら彼女らの悲しみに、どうしようもなさに、存在に、光を当てることになるのだと。

彼ら彼女らに勇気を貰ったり救われた私たちが向けるまなざしが超人を光ある存在として形作ると読みとるなら、作品のそのもののテーマを示した場面であったのかもしれないと思いました。

人間人間書きましたが48年の時点では腕から火出してるし、41年でも風郎太に「人間?」って言われてるし、爾朗先輩どこまで純粋な人間なのか分かったもんじゃないですけどねー。

情報がみっちりで見ごたえあるのは大歓迎なんですが、余韻が滑り込む隙もなさそうなのが少し残念です。毎回名曲をミュージシャンの方々が歌ってくださっているのに浸る間もなく終わってしまうのも。

 

第3話「鉄骨のひと」

第3話、柴が47年で美枝子を正義を行うための道具として利用しようとするのは、手に入らなった人をそうすることで「自分の側のもの」「自分の一部」としているようにも見えて、その思想も愛も歪んでて悲しいんだけど、その歪さがひとらしいとも思えていつまでも心に引っかかる話でした。

個人的には42年の生真面目を絵に描いたような見た目が好きだったので、見た目込みで「ああ~そっち行っちゃったかあ~」って感じたのもあります。見た目といえば未来軸の爾朗先輩の忍者要素入った格好は日陰を歩むしかないアウトローになったことを示す意味があるのかと思っていたんだけど普通に出歩いてたわ。

プログラムされたものでも人造人間の愛は正義であり、それを認めるという42年の輝子の台詞と同じようなことを、言われた爾朗が47年では柴に対して言っているんですよね。これは輝子に影響されたのか未来軸までの間の出来事が影響してるのか元々持っていた思いが表に出ただけなのか。

 

第4話「日本『怪獣』史 前篇」

第4話、OPに出てくる能力が本編でも登場し、爾朗が純粋な人間ではないことが明らかになりましたが、人の姿をして人の世界に住む人ではない存在として、そんな自分に何があればこの世界に居てもいいのかという拠り所や存在意義を「正義」に求めているのが41年の彼なのかなと思いました。

爾朗の出自が怪獣側であることが匂わされてるだけに、「正義でなくては存在してはならない」ぐらい考え方にバイアスがかかっているのかもしれません。その分、同じ様な立場の超人には肩入れをする。その極端さは彼の自分に対する不安定さを表しているようにも見えます。

ガゴンとのほほえましいふれあいシーン、とかやってもなぜ爾朗がそこまで懐かれたのか後で突き付けて落とすためのトスなんでしょう?キー!

未来軸で「自分はもはや正義ではない」と言っている時の爾朗はでは何を存在意義としているのか、気になる所です。

今回だけでは真意は分かりませんでしたが、笑美は41年時点での爾朗の世界観を守りたいというのもあってああいう行動をしたのかもと思います。彼の望む世界を作り、大丈夫よと言って胸に抱えて再び眠らせるって、うーん…

 

第5話「日本『怪獣』史 後篇」

第5話、超人を守る、というよりは自分たちの都合のいいように超人や怪獣を利用している超人課の真っ黒な面が前回以上に明かされてきました。そして爾朗にはそれが隠され続けているということも。となると未来軸の爾郎は政治的に超人を利用することを良しとしていないと思われます。それが自分の正義だ、と訴えてもよさそうに思うのですが、自分は正義ではないと言うのは何故でしょうか。正義なんてものは無いと言っている訳ではなく、正義はあるが自分はそれに属していないという。

そこに至るまでの過程が気になります。自分の出自に不安を持ち青くて甘い理想を支えとする青年が、慕う義父と母親兼姉兼恋人的存在が結託して自分を利用していたことを知って、傷つき自分なりの立ち位置を確定していくまでの過程ですよ(ゲス顔)

未来軸の超人課と爾朗が表層の平和を守るために情報を操作し捻じ曲げる者とそれに異をとなえる者だとすると、ファンとしてはこの構造に「UN-GO」を重ねてしまうなあ。前者がマスコミを力に付け圧倒的で後者の立場が弱いという所も。しかし後者の信念に寄り添う人も少なくない。

それから怪獣に懐中電灯の光を当てる、という行為が象徴的に見えました。ウルの言うようにただの動物と同じだったかもしれないものにそれぞれの思いを当てて、まつり上げていく。世間に対する自分の恨みを重ねていく行為は「投影」という言葉そのもののようでした。

ずっと弟と言ってきたひろゆきくんの最後の投影の変容が悲しくてね…断ち切るように響く爾郎の怪獣と戦う宣言ですが、個人的には勝ち負けが決まるまで戦うのではなく、付き合い方を知っていくぐらいのことしかできないんではないかなと思っています。

輝子の言う「戦っています」は付き合い方の方じゃないかな。たぶん嫉妬心とか、もどかしさと。そんな彼女がそばに居ることは希望だと思うので頑張ってほしいし応援したい。

 

第6話「やつらはいつでも笑ってる」

笑いそれ自体には状況を変える力はないけれど、いっとき人の気持ちをフラットにし、余裕を持たせてくれる。戦争という個人ではどうしようもない経験を生き抜いたドンさんが笑いを大切にしているというのが重く、効いてるなと感じました。

そしてマウンテンホースの作り出す笑いは、敵対する関係になってしまった風郎太と爾朗をフラットにし、共にステージを楽しむ時間を与えてくれました。あの時の風郎太のほほえみに、爾朗のマヌケな姿に、敵対する以外の関係になれるかもしれない希望が見えたように思えます。

ただそれはマウンテンホースに対する敬意の下でのみの休戦で、彼らが作り出してくれる場の外では元通りになってしまうのかもしれません。しかしあの時間を持てたことは良かったなあと思うのです。

軽やかでいてこそ、笑わせることも、笑うこともできる。こうでなければいけないという思考に風穴を空け、違う視界をもたらす「笑い」が超人という存在にも新たな見方を与えてくれた、やっぱり面白い第6話でした。

ところで今回流れた「Time Slipper」カッケーなあと思って調べたら歌ってた石田ショーキチさんって元Spiral Life石田小吉さんだったのか!おわー!組んでた車谷さん(AIR)のソロとかも好きだったよ。

 

第7話「空も星も越えていこう」

自分に無い「家族」を見つめるアースちゃんの胸の内をそっと叶えるため、また、ジュダスに代表される時に嘘をつくしかない人との橋渡しのため、輝子が渡した嘘という名の夢を知ったアースちゃんの行く末の機能停止の姿はまさに魔女に魅了されて魂を取られた者のようで、ゾクッとしました。

もちろん輝子にはそんなつもりはなかったと思います。しかし意図してなかろうが無意識であろうが、結果として魂を捧げてしまうような行動に向かわせるのだとしたら、それが彼女の魔女としての素質であり才能なのかもしれないと気付いた時、第7話の冒頭とラストが繋がって唸ったのでした。

違う見方をすると、嘘を知らないが故に絶対の正義の象徴であったアースちゃんも、嘘を知った結果その他大勢と同じく埋もれていくしかなかったと言えるかもしれません。機能停止までに何があったのかが描かれていないので全く違うかもしれませんが。 

私は輝子の目の前の出来事を理解しようとする柔軟さや賢さ、それでも正義を愛するひたむきさ、人に寄り添おうとする優しさが好きなので彼女にはそのままでいて欲しいと思います。しかしこの作品が繰り返し描いてきた「超人でさえも理想のままではいられない」という事実を彼女に対しても覚悟しないといけないと言われたように感じました。その一方でこの作品は「でも幻想を抱き続けることは決して悪いことじゃない」とも言っているので彼女の輝きの持つ力を信じていたいです。

行き詰まりそうな現実を生きていくための嘘という一つの幻想が、アースちゃんのいる「空」も「星」野輝子の立場も飛び越えた結びつきを作ってくれたと思いたいです。

そんで今回のミュージシャンは曽我部恵一さんかよ!サニーデイ・サービスのCD持ってるよ!元ネタの年代より一回りくらい後なんだよなあって年代を「でもこのラインナップはツボじゃろ?」って音楽方面でカバーしてくるコンレボ怖い子!

 
第8話「天弓ナイトをだれもしらない」

第8話、自分で付けたかどうかは分かりませんが、大鉄君は事件後痕跡を無くし別の人間として生まれ変わる際に天弓ナイトから一字取った「弓彦」という名前を選択し、よしとしています。事件後の彼のアイデンティティに天弓ナイトが大きく関わっていると読みとれます。

普通の場合であれば名前をもらう相手は尊敬や憧れの対象であると思われます。しかし「弓を引く」という言葉には反抗するという意味もあります。慕う気持ちと憎む気持ちの間で悩んできた彼の心情が名前でも表現されているように思えました。

自分を確立する為にも、弓彦となった彼は天弓ナイトが正義だったのか悪だったのか決着をつけなければならなかった。43年の爾朗は灰色でしかいられない人もいる、せめてその人の信じる正義の味方でいたいと語りましたが、結局彼はそれを受け容れることは出来なかったようです。

43年で爾朗は「マスクを脱いだ素顔」で語りかけるのに対し、47年での弓彦が「マスクを被って」登場するのも気になりました。どっちつかずの素顔のままで生きていくことはできず、自分を「正義」とする仮面を被ったということなのでしょうか。そして爾朗はどちらの時も「大鉄君」と呼びかけている。弓彦になる前の、マスクを被る前の彼の心に呼びかけているようにも見えました。

私は以前、爾朗が拠り所を求めるあまり「正義でなければいけない」ぐらいバイアスがかかっているのかもと書きましたが、今回彼の口から語られたのは灰色の自分でもせめて味方でいるくらいはできるだろうかという切実な願いや祈りのような正義への想いでした。願いや祈りも強い気持ちではありますが、序盤で感じた激しさより寛容さを感じる方向であったのは私の読み間違いかもしれませんし、43年までの経験で爾朗が変わったのかもしれません。そしてまた、この言葉から未来軸の「自分は正義ではない」と言う爾朗が繋がったように自分には思えました。

天弓ナイトの影を追うもの同士、弓彦と爾朗には多くの共通点が描かれていました。そして二人とも幼い頃に新たな名前で生き直す経験をしています。その際に大きな影響を与える人がいた時、自分をどう確立していけばよいのか。今回は弓彦のお話でしたが、爾朗にも近々必ず来るその時の予感を感じました。

あとアースちゃんが再登場したのはうれしかったんだけどアレかな、爾朗に関わった人はコスチュームの中二化から逃れられない感じなのかな?なんかみんなカッコよくなっちゃって…いや好きですけどね。

 

第9話「果てしなき家族の果て」

昨日なったばかりの人から星と同じ長さまで。この作品が扱う存在のスケールの幅にクラクラすると同時にそれらをまとめて表せてしまえる「超人」という都合のいい言葉をホントよく思いつかれたなあと。 

そんな今まで出てきた超人の枠を超えるような存在でさえ、さらに人の中で生き辛くなるであろうことが予想されるラストはもの悲しかったです。そのラストが爾朗が超人全体へのスタンスを表明する自然な流れとなっているのがまたすごいんだ。

私は未来軸の対立の様子から、何か大きな事件があって、その時に爾朗と超人課に決定的な決裂が生まれてしまったのかと思っていたんですが、抜けてすぐは「また戻って来るだろう」ぐらいに思われてるんですね。

今回描かれていた爾朗と超人課の意識の差は決定的な断絶よりむしろ絶望が深いように感じました。犯罪者として追われるぐらいのことをしでかさなければ彼の想いは伝わらなかったのかと思うと…

不老、いつからいるのか分からない等々、あの一家と風郎太は結構似た要素があると思うんですが、風郎太は彼らにも置いて行かれたんだなあと、勝手にしんみりしたりもして。あっちは家族だけど風郎太は一人だし、未来でも友達だった子に置いて行かれるし… 

ジャガーさんのズボンのボタンにちゃんと意味があったのは嬉しかったです。なるほどあの場合パカーッと!天才科学者だの獣化だの要素ばっかり積み上がってましたが次回やっとこさメインを張ってくれるようなので楽しみです。

 

第10話「運命の幻影」

第10話、公式サイトのストーリー紹介に「他人と決して分かち合えない秘密」とまで書かれ、確かに元タイムパトロールである兵馬にしか起こり得ない出来事でありながら、エッセンスは「過去の自分との対峙」という誰にもある体験な所にセンスオブワンダーを感じました。

そして彼もまた結局過去の自分を消し去ることはできなかった。それが逃れられない苦い経験ではなく、今の自分の肯定と未来への希望となるのがとてもよかった。「存在を確定される」なんて、そりゃもう強い自己肯定イベントなはずだ。受け容れた後のやわらかい笑顔が素敵でした。

エンディング後を見るに、第10話の出来事が25世紀の兵馬に影響を及ぼしてるみたいで、未来の自分(歴史的には過去)が昔の自分(歴史的には未来)に影響を与え、その先の自分を変えていくという、時間SFものならではのグルグルする感覚も楽しかったです。

最後のタイムパトロール上司(すごいメイク)の意味ありげな笑みはなんだったんでしょう?25世紀の兵馬が第10話の出来事で影響を受けるのを織り込み済みで20世紀に行かせたってこと?超人復活は彼女の計画だったのかな。

グルグルする感覚は「大人」と「子供」の言葉扱いにも見られましたが、この後、アースちゃんと対峙する時にも兵馬は「大人」を強調しています。今回を踏まえて見ると「大人であることにこだわる子供じみた自分をも肯定する大人」としての台詞だったのかなと印象が変わったりもしました。

ところで赤光さんの変装は予告の時から「まあ爾朗本人じゃないだろうな」感バリバリでしたよね。ああいうストレートにカッコよくて強そうな顔はしないもんな、って思ったけど直後に現れた本人がまたかわいい顔して驚いてて、ホラお前!そんなだから!そんななんだよ!

 

第11話「正義/自由/平和」

コンレボ第11話、見終わった後の一言目が「よっしゃ、分からん!」だったくらいなので、いつも以上にフワッフワした感想になりました。分からなかったけど面白かったです。たぎりました。

エクウス車内での爾朗と輝子の会話が切なくて。そこまでの出来事が丹念に爾朗を傷つけてるんですよね。現時点でどれだけ自覚しているのか分かりませんが東﨑さんに人でなく超人でもない爾朗本人の不安定さを刺激され、クロードにはジャガーさんが言ったように本来超人課がすべき仕事をされてしまう。

破壊衝動を秘めたままの灰色の自分、それに「正義の味方」という立場の光を与えてくれた超人という存在、それらを守ることで見つけた自分の存在意義、自分自身に対する不安定さがあるゆえに大事にしてきたものが傷つけられた時、気持ちの揺れの矛先が魔女であるという出自にコンプレックスを持っていた輝子に向かってしまったのが悲しい。二人の悩みは同じような所から生まれているものなのに。

輝子が魔女であることを否定的に語ったのも驚きました。そんなそぶりは今まで見せたことがなかったので。でも相手の意志や行動を善いものとしてとらえる発言が多かったのは出自で判断してほしくない、したくないという気持ちの表れだったのかもしれない、と思いました。

超人課がすべき仕事以外にも、主題歌アレンジBGMというアニメの大正義まで新キャラに取られてしまった爾朗の明日はどっちだ…と思ったりもしたのですが、これ、クライマックスで爾朗が乗り越えるべきものを象徴的に表しているようにも見えました。

自分の正体に対しても超人課の仕事に対しても現在の爾朗は隠し事をされていて、真相が壁で隔てられている状態です。鏡写しのようなクロードの場面で流れたことも合わせて考えると、このままでは彼は主題歌アレンジBGMを流してもらえるような「主人公」になれないということなのかなと。

そのクロードは超人が現実に存在するあの世界の中でもさらに際立って芝居がかった話し方をしてました。扇動の必要もない輝子との会話の時でさえ。個性なのか、わざとそうしてるのか、今まで描いてきたものを問い直すメタなキャラクターであることを表しているのか、色々考えられるかもと思ったり。

しかしあの名調子は聞いててメチャクチャ気持ちがいいし、乗せられますよねー。次回予告の声に出して読みたいレベルがすごいですよ。

柴っちが、歌う!すごいバトルする!そして負ける!がお約束になってきてるのは和みました。このまま、出くわせばぶつかる石頭の愉快な刑事さんでいてくれれば平和なのに、そういられなくなる出来事が彼にも待ち受けてるんだな…

 

第12話「八高超人墜落事件」

コンクリート・レボルティオ第12話、タイトルである「超人への幻想」が登場人物の言葉として語られ、いよいよ核心に近付いてきたことを実感しました。そして輝子がクロードに「理想の爾朗」を見ていたことも判明し、ここにも恋心と結びついた幻想があったことが分かります。

以前真実を知らない爾朗は主人公になれていないのかも、と書きました。しかし超人への幻想を抱くだけだった爾朗だからこそ幻想を抱かれる側となり真実の一端を知ったその時、幻想にどう向き合うのかということがこれから描かれるのだとするなら、確かに彼は主人公なのだと思い直しました。コンクリート・レボルティオという作品の第1話が二人の出会いであること、輝子の幻想はそこからこれまでに積み重ねられたものであること、などからそんな風に感じました。

(ところで今回輝子はクロードを「爾朗さん」って呼んでますよね。英語圏ネットスラングで「senpai」は「私のことに絶対気付いてくれない人」という意味になってるって以前見かけたんですが、クロードは振り向いてくれた爾朗だったのかなって。ちょっと脱線)

今回知らされた真実だけでも爾朗が超人課を離れる理由に十分なりそうなんですが、輝子の「理想の爾朗」という幻想を守るためにそうする可能性もあるのかな?第9話を見ると演技とも思えないようなので自信はないんですが。クロードの掲げる理想を追いながら、違うやり方を探すことになるとか。

これだけの事が起こりながら輝子がどうしてこの後も超人課にいるのか予想付かないんですが、女王状態は暴走みたいなもので、その間の記憶が残ってなかったとしたら何が起こったか尋ねる輝子に「大人になったら教えるよ」とか爾朗が言って第1話の「私、二十歳になりました!」に繋がるのかなとか。

教師長川としての姿が「先生らしくない」と言われるのは彼が体制側でないからなんでしょうね。だから生徒たちを扇動できる。けどその先どうしたいのかが見えないっていうか。マスター・ウルティマが「クロードを放っておけば戦争が始まる」と言っていたのも合わせて気になります。

つらつら考えるのは楽しいけど、本当にいろんな要素、様々な思惑や感情が絡み合っているので第1期のクライマックスがどんな形になるのか正直全く予想付かないっす。この先どうなるのかある程度見せられているのに、予想が付かない。何を重んじるのか、どうしてその選択をしたのか。うう早く続き見たい。

 

第13話「新宿擾乱」以降は1話ごとの感想記事にしているのでそちらをご覧ください。