さわやかサバイバー

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ちかえもん

時代劇「ちかえもん」放送当時の自分感想ツイートまとめです。お話の面白さもさることながら、キャスティング、台詞等、内に外に広がる様々な仕掛けを駆使し「物語とは」「物語を描くとは」ということを視聴者にも問いかけてくるこの作品に、虚実のあわいに引きずり込まれながら楽しませてもらいました。

 

続きからどうぞ

 第1話「近松優柔不断極」

徳川綱吉が奨励したことにより、世間でも親孝行が大ブームに。スランプ続きで生活が苦しく、いつも母親に愚痴をこぼされている近松門左衛門はその空気に鬱屈したものを感じているが現状を打破することができない。そんな中、世間の空気とは逆に「親不孝」を売りにする「不孝糖」売りの胡散臭い男、万吉と出会う。「おんなじとこ毎日堂々巡ってるお人は 明日も変わらしまへんねん」予想外に鋭い所もある万吉の型にはまらない考え方は門左衛門にとって突破口となっていく

どうしてその時代でなければいけないのか、なぜその人でなければいけないのか、そこにちゃんと理由や動機があり、それを活かすためにフィクションで味つけされているものは私どうにもこうにも弱いのです。そして「ちかえもん」はそれがべらぼうに上手い。さらに、景気が傾いている当時と現在の状況の重ね合わせ、人形と人間の対比、ドラマの登場人物を「曽根崎心中」の世界に入れ込んでいく仕掛け等々、たくさんの要素を抱え込みながら、軽やかな人情味あふれるコメディにまとめ上げている手腕には驚くばかりです。すごいものが始まった。

 

ちかえもん」面白かったー!スランプ中で、褒め言葉や高額報酬にふらつきながらもギリギリのところで創作の原点への情熱を思い出す、今は情けないオッサン、しかも時代劇、とハードルがいくつもありそうな感じなのに初回からこの先見守りたくなったもんな。スラップスティック加減も好きな感じでした。

西鶴芭蕉みたいに親しげに名前で呼ばれたい!とゴネるのを序盤にやって、ミューズと言うには胡散臭すぎるけどコイツ名前で呼んでくれたじゃん…(ときめき)で締める流れが綺麗だけど、内容が内容だけにおかしくって。

親不孝を売りにするなら花街へ行けとさりげなく人情に鋭い所を見せるオッサン!過去のヒット作をいつまでも店のお姉ちゃんに自慢するオッサン!恥ずかしくないのか、と言われて「でも書けないもん!生活苦しいもん!もっと褒めてよ!」と泣きながら走り去るオッサン!近松門左衛門その人である。

「うた:近松門左衛門」じゃねえんだよ!むせび泣く琵琶、歌い上げる門左衛門!くっそう「キャスティング:松尾スズキ」をめいっぱい活用しやがって。

「そこ!?」とか「ええー…」とかいったフランクな台詞も出てきたりもしますが、かっとんだ演出はイメージ映像であったり、現代語はナレーションで使われたり、ドラマの世界とは区分されているバランス感覚もいいなと思いました。その分めちゃくちゃ飛ばしてますが。

次回予告や公式サイト見たら「曽根崎心中」に登場人物や展開を重ね合わせていくみたいですね。脚本の藤本有紀さんは「ちりとてちん」でもこの見せ方がすごく上手かったので「ちかえもん」の今後も楽しみです。

 

 

第2回「厄介者初、井守黒焼」

万吉の口から「おとん」の単語(万吉、人間だったのか…天使じゃなかったのか…)→「お初がわろた」(万吉、やっぱり天使だった…)

どうやらイモリの黒焼き効果ではなかった様子のお初と徳兵衛の仲が、どうやって心中物のモデルとなるぐらいになるのか気になりますね。特にお初は何を抱えてるんだろう。しかし早見さん美しかった…!

 

第1話で自分の創作の原点に気付いた門左衛門、さあ第2話は!と思ったら「書けてなぁーい!一行も書けてなぁーい!」だとは。ホントに「明日も変わらしまへんねん」ですな。しかし物語の発端に立ち会い、ラストでは手にした人形の目が開いた。スイッチ入った? 

アホで一生懸命で滑稽で情けなくて必死にもがく人々の姿をかわいらしく(ちかえもん風に言うなら「かいらしく」)愛さずにいられないように描くのは「ちりとてちん」の頃からの藤本有紀さんの力だなあ。そしてそれは落語の世界や登場人物そのものという感じがして、藤本さんの落語愛を感じます。

 

ちかえもん」の公式サイトで知ったのですが、近松門左衛門の芸術論を穂積以貫という人が聞いて後にまとめたものの中に「虚実皮膜の論」という言葉があるそうです。虚(うそ)と実(現実)の境目はあいまいで、その微妙な交わりにこそ面白さが宿り、人は惹きつけられるのだと。

曰く、「「虚(うそ)にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰(なぐさみ)が有るもの也」

嘘だから描ける真実もある。ドラマという架空の世界の登場人物をさらに「曽根崎心中」の物語世界に入れ込んでいく。フィクションにフィクションを重ねるような仕掛けの中で、「ちかえもん」はどんな真実を描きだそうとしているのか、この先楽しみです。

山田風太郎の「八犬伝」の中には「虚実冥合」って言葉も出てきましたね。

 

 

第3回「放蕩息子徳兵衛」

疲れて帰って若干ウトウトしながら見始めたのにバッチリ目が覚めて、終わった後は興奮して歯磨きしながらその辺をむやみにウロウロしてしまったくらい第3話面白かった。面白かった…!

家業をどうでもいいと思っているからではなくて、逆に真正面から受け止めきれないくらい重く感じているから、あほボンにならざるを得なかったんだな。前回までは本当にド腐れぶりの面しか見せてなかったけど、藤本さんの登場人物がそれで終わる訳はないんだよそうだよ。

前回までで「ちかえもん」は「忠義」にカウンターくらわす話になるのかなと思ってたんです。第3話で忠義の代表格とも言える忠臣蔵を出してくることが予告で分かったので、その辺分かるかなと。でも単純なカウンターではなかった。忠義に縛られもがく人からにじみ出る人情を描く話だった

まだ忠義の枠を出ていない頃の門左衛門の作品「出世景清」の一説を口ずさむお初、第4話予告に出てくる名前から察することができる黒田屋の正体、いずれも何らかの忠義にいまだとらわれていることがうかがえます。この二人の忠義と人情はどう絡んで来るのか想像するだけでワクワクする。

万吉と彼のけったいな商売「不孝糖売り」は既存の枠を取っ払う象徴となってるのかなと思いました。第1話で出会い、しかし以前からの忠義の枠を超えるものを描けない第2話の門左衛門は身を入れて不孝糖売りができない。大繁盛させた徳兵衛は家の力ではない、彼自身が持つものに気が付く

エッセンスだけ抜き出せばいい話のように思えるけど、あほボンが突き抜けるくらいあほボンだったからという展開にするのが思いもよらなくて意表を突かれました。しかも本当は苦悩から発しているあほボンぶりなんですよ。それを別な方向から光を当て、価値あるものと気付かせるとはねえ。

どうでもいいと思ってるからではなくて、重すぎて大切なものから逃げ出してしまう所は草若師匠と志保さんのエピソード思い出したし、茂山ファミリー出てくるし、あほボンの話だし、ちかえもん見てるのに「小草若ー!」と叫んでしまったのは私ではないと思う。

 

親孝行素晴らしいよね!という画一的でまっとうに見える、でも窮屈でもある「孝行糖売り」の売り声が響く世間に、「不」の冠つけた「不孝糖売り」というズレた立場の万吉が切り開き、触発されていく門左衛門によって見せられる新しい視点がすごく刺激的なのに実にきれいにまとめられてる

この「今なんか新しいもの見てるのにすごくよく分かる!」って思わすのって、とてつもない技術だと思うんです。しかもコメディ部分に笑わされてるうちにストンと掴まされてしまっている。うん、やっぱりすごい作品だ。

 

 

第4回「善悪不明九平次

前回の感想で赤穂浪士を悲劇の忠臣に仕立て上げる安易な物語化への皮肉も描かれている、と書かれていた方がいて唸ったのですが、その上で今回は「自分好みの物語に目が眩んでつっ走る門左衛門」が描かれるという。いつも予想もしない角度から前の回が覆されるのが快感です。 

 忠義一辺倒から、それに縛られている人からにじみ出る人情を描くとっかかりは掴めた。ではすぐ描けるかといえばそうではなく、世情に疎いままでは自分の枠の中の物語しか描けない。人情物を描くためにはそこを越えて、人の生の情に触れなければならない、ってことなんでしょうね

 

コメディ調で楽しく終わったと思えば前回は泣かせてきて、今回は陰謀渦巻く先が気になりすぎる展開で締める。「うた 近松門左衛門」とか懐かしの映画風赤穂浪士とか定番化してきて「待ってました」となる要素を入れつつ、それもマイナーチェンジし続けてるし、どんだけリッチなの…

 やはり名前に関することは印象に残りますね。結局今の名前しか掴ませなかった黒田屋の腹の底は見えてこないし、「手代徳兵衛」となった徳兵衛は跡取りの重責が少し軽くなったようです。しかしそれも跡取りとしての複雑な想いがあればこそで、そこ突いてくる黒田屋の怖さが引き立つという。

 

 

第5回「標的、忠右衛門」

ラスト、とうとうお初と平野屋忠衛門が、という場面でこっちが「わー、どうなるんだろ…!」とハラハラドキドキしてるのに「安心して下さい、痛快娯楽時代劇です」はねえだろ主人公。

お初の身の上話を聞いて、このままでは心から笑えない、かわいそうだと仇討をさせようとする万吉に対し、すぐさま筆を取り自分ならこの先物語としてどう展開させるかを考えてしまう門左衛門の姿は前回と合わせて物語書きとしての業を感じさせる場面でした。

 既に指摘されているように、自らも劇団で物語を作る松尾スズキさんを主役に据えて物語の産みの苦しみや陥りがちな落とし穴を演じさせるなど、たくさんのメタな表現があるだけに、業もまたそれだけにとどまらず、物語書きだけにしかできないことがこの先描かれるのではと思っています。

 今回は遊郭の中での展開が多かっただけに特に早見あかりさんや優香さんの美しい姿や、その中の悲しみやあきらめや決意を含んだ横顔が印象的に残りました。絵みたいな美しさだったけど、美しいだけじゃないものも含まれてるから美しいんだろうな。

 

 

第6回「義太夫些少活躍」 

徳兵衛並みに見てる間中「お初ぅー!」って言ってました。着物の黒がよく映えてて、平野屋と対峙した時は決意の重さを、対話の後は徳兵衛を失った悲しみを、最後は黒田屋の陰謀に飲み込まれる不穏さを、黒をまとった姿で表わしていたように思います。どの場面も早見さん美しかった… 

 金が力を持つ大阪の商人である立場から、忠義に縛られた武士にはできない「仇討ち」を試みた平野屋。しかしそんな彼にもまた、金で解決することしかできないという商人としての縛りが存在する。縛られた人々を悲しいという門左衛門。越えさせるものが彼の物語なのではないかと思います。

 門左衛門と万吉に話した内容が本当だったとしたらなんですが、武士の作る世の中や序列を見返してやりたい、という点では黒田屋も平野屋と同じ思いを抱いていたってことになるんですよね。狙われる側と狙う側の相似、今後どう効いてくるのか期待しかない。

武士と商人、上と下、孝行と不孝、様々な立場や言葉を「ひっくり返す」ことがテーマのひとつであるようです。そしてこの展開で次回予告見たら「心中」もなんだかとっても素敵な解決方法に見えてきたぞ?でもこの作品だからストレートな心中ではないんだろうな。 だってあからさまに「刃傷沙汰だよ!」と予告で煽ってた平野屋とお初の対峙だって、まさかあんな妄想劇場とか「ぷにゅっ」で済むとは。

 

 

第7回「賢母喜里潔決断」 

 まだ今回の興奮の真っ只中ですが、何と言っても次回最終回予告「物書きの背負うた業や!!」と言い切るちかえもんがね!第1回「近松優柔不断極」で言い訳と弱音ばかり吐いていたちかえもんがですよ。視聴者には見せていた業をとうとう自分で認め引き受ける覚悟をしたんですよ。くぅ!

万吉と一番に出会ったちかえもんがここに来て初めて不孝糖を口にするということにハッとさせられました。様々な人が万吉と関わることで縛られていた「孝行」から放たれてきたけど、これまでの積み重ねが無いと放たれないくらいあの親子の互いへの孝行の想いは固かったのかもしれません。 

今回思いもよらない方法で黒田屋の目論見を砕いた万吉。「筋」という言葉には道理、物語の内容などという意味がありますが、筋を壊す万吉の導きでこの物語に出会ったちかえもんが、その上でどう己の物語の筋を見つけるのか、最後二人の立場はどうなるのか、すごく楽しみです。 

きれーい!けど愛想なぁーい!と言われてたお初があんなに顔クシャクシャにして自分の想いを口にするっていうのがもう!さらに典型的バカップルのやりとりとして最初描写されてた「お初」「徳様」のリフレインを、互いを思いつつ引き裂かれる恋人の切ない叫びとして入れてくるのがもう!

 細かい所では朝鮮人参を徳兵衛に見せる喜助の顔が陰になってたのも好きでした。人の良い、大旦那と若旦那を思いやる番頭の面が印象深いですが、禁じられている商いに加担していた面を表していたようで。

天丼ネタに弱いので「三百両…三百両!?」「朝鮮人参…朝鮮人参!?」とか、まさかの歌三連発とかもう、ダメでした。最終回目前なのにコメディ方面もさらにギア上げてきやがって…ちくしょう大好きだよ! 

ちかえもんが一世一代のプロポーズをしてお袖を嫁にしようとした後、家では「ちかえもんのことは任せて下さい」と万吉が嫁のようなことを言っていたのはワザとなの?そしてそんな家の場面で吉弥さんが出てくるとか、青木さんと並んで座るとか、ちりとてちんファンの叫びが聞こえたような気がした(自分含め)

 

 

 第8回「曽根崎心中万吉心中」

 ああ面白かった!スタッフの皆さん、すばらしい作品をありがとうございました!

どんな悲劇でも物語にせずにはいられない作家としての業を受け容れ、現実の事件を題材にした物語を完成させたちかえもんに、それをひっくり返すような事実が告げられる。しかしそれも虚か実か分からない。虚実のあわいに視聴者も巻きこまれていくようなラストがこれぞちかえもん!と感じました。 

 あっけないお初と徳兵衛の死に驚き、ちかえもんと同じようにこれは現実なのか嘘じゃないのか、と戸惑い、「侍も刀を外す」ある種世間と隔離された遊郭で消えたはずの黒田屋が刀を突き付ける姿を見る。最終回は最初から様々な境目がぼやかされ、ひっくり返されていたように思います。 

「自分好みの物語を作らせようとする黒田屋」に最後に襲撃を受けるというのも象徴的でした。己の中にある物語だけを描くのではなく、浅ましさを受け容れ、それでも現実の、生きている人達を昇華させる物語を描いていくのだと。虚実のあわいを描いていく内面的な決断の場にも見えました。  

 黒田屋の襲撃から助けてくれるのが「物語への根源的な情熱」の化身である万吉というのがまた象徴的。第1話でも、黒田屋の誘いに一度乗ったちかえもん人形浄瑠璃の道に引き戻したのも子供の頃の思い出でしたもんね。

 余韻に水を差してしまうかもしれないけど、お初と徳兵衛ははかなく心中してしまったのかもしれないし、万吉という渡世人は川に落ちて死んでしまったのかもしれない。しかしもし現実がやるせないとしても、ちかえもんは物語にしていくのだろうという、物語の強さを感じさせられる最終回でした。