さわやかサバイバー

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ハンドメイズ・テイル 侍女の物語 シーズン1

ドラマ「ハンドメイズ・テイル」シーズン1の感想です。

 

ネタバレ含みますので続きからどうぞ。

 

環境汚染により多くの女性が不妊になった架空のアメリカ。キリスト教原理主義の国となってしまったそこに住むジューンは夫と子供とともに亡命を図るが捕まってしまい、産む役目の女=侍女とされてしまう、というストーリー。

通りには銃を持った監視者が立ち、役目ごとに決まった色の服を着る人々が行き交うギレアド。監視社会の不穏さと、管理されているがゆえの表面的な穏やかさとが並び立つ光景は私が今生きている社会とはかけ離れているように見えます。しかしそのおぞましさは今ここと地続きである、いやまさに今のことだ、私のことだと気づかされていくのが衝撃でした。

 

 

高官夫妻の子を産むためだけの役割を与えられたジューンは被害者です。しかし加害者側の人間もまた自らが支持する社会に感情や意志を抑え込まれた被害者であることが見えてきます。この人たちも人間だ、そう思った頃に「あくまで枠の中では」と思い知らされる。禁じられているはずなのに役割ではなく、人格を持った人間としてふるまうことを求める高官、妊娠の兆しを喜び今までにないほど手厚く扱う高官の妻、一時見せたそれらの優しさのようなものは、あくまでジューンが従順な侍女でいる限りであることをすぐさま叩きつけてきます。少しでも期待に沿えないことが分かれば物扱いな現実が剥き出しになる。

登場人物に「リディアおば」という人がいます。選ばれた女性を侍女として教育し、厳しく管理する立場です。反抗的な態度が続いたり、同性愛者であれば生殖に差しさわりのない部分を切断するほどの処置を行う権限を持っており、そこまでいかなくても日常的に侍女に体罰を行う人物でシーズン1の分かりやすい憎まれ役と言えます。

シーズン1の途中でパーティに侍女たちが招待される場面があるのですが、罰を受け、傷のある侍女は見た目がよくないからと入場を許可されませんでした。このときリディアおばは傷があってもなくても、侍女は身体を捧げ国に仕える尊い仕事をしているのだからみんな入場させてほしいと訴えるのです。一瞬感動しそうになりました。いわゆる鬼軍曹が実は教え子を大切に思っていたパターンのような。いやいや、そもそも傷つけたのはこの人じゃん!何言ってんの!と思い直しましたが、確かにリディアおばは誠実ではあるんです。体制の中、与えられた役目に忠実で使命感を持って仕事に取り組んでいる。その範囲で言えば愛情を持っているとすら言えるかもしれない。私は今、彼女と違う形の社会に生きているから、この行為をおかしいと思うけれども、状況が変われば自分だって正しいと思い込んだ残虐な行為を当たり前にしてしまうかもしれない。感動しかけことにその可能性を見てゾッとしました。

小さい範囲で言えば今の社会にだってそれらはあるんです。自分が所属している学校や会社や家庭のルールが当たり前だと思い込んでしまうことはよくあります。どこまでそれを自覚できるのか、思ったより自分は流されやすい人間なことを知っておかなければならないと突きつけられたようなできごとでした。

 

ジューンが清廉潔白な人物でないこともまた「枠」を意識してのことではないでしょうか。ドラマの中ではギレアドになる前の今のアメリカと変わらない暮らしが時々差し込まれます。その中でジューンと出会った時夫は結婚しており、しばらく不倫関係であったことが判明します。また現在でもジューンは妊娠するためだけではなく、寂しさから運転手のニックと体を重ねます。

悲劇のヒロインが心は清いまま苦難に耐えていく物語ではないんです。性を抑圧する物語だからこそ、時に翻弄されたり胸を張れることでなくても、そこも含め本来自由であるべきなのだ、としたかったのかなと思います。まつりあげられる偶像ではなくて肉体を持った一人の人間の反乱だと。

 

 

あくまで架空の話、そう思って安心していたところにひやりとした刃物を押し付けられるようなリアリティある変化の様子も印象的でした。内戦からのクーデターでギレアドは成立したという設定ですが、その前後、今の私たちとそう変わらない日常が変容していく場面が描かれることでグッと身近に感じられました。

職場で突如女性だけが雇用を打ち切られ、帰るよう指示される。コーヒーショップでクレジットカードが使えないと言われる。職に就くこと、財産を持つことが禁止されていく恐ろしさは銃撃戦を映されるより自分のこととして感じられました。戦争でなくても緊急事態だからという名目でいつだってありえることで、起こった時にはもう手遅れ。今も国籍や経歴や病気で近い状況にある人もいます。

職を転々としている当時のニックに仕事を紹介できる、今より良い社会を作るための仕事だ、とギレアドを成立させようとするメンバーが近づいていくのもゾワゾワしました。まず我々はこういう主義の団体で素晴らしいから仲間になれ、ではないんですよね。仕事に困ってるようだけど紹介できるよ、とささやくことから始まっている。不満を持つ人の懐に入り込み勢力を拡大させるなんてのは昔から使われてきた手だけど、効果があるからいつまでも使われるんでしょう。

 SFとは荒唐無稽な宇宙の話ではなく、現実の世界から何か一つを変えたシミュレーション、という話を見た覚えがあります。ハンドメイズ・テイルはその意味で現実が反映された非常に秀逸なSFなのではないでしょうか。

 

 

気付かずあっという間に落ちてしまうような地獄。その中に希望はないのでしょうか。そうではない、私が私として生きることをあきらめず、真に人を思う気持ちから出た行動は必ず繋がっていく、と光を示すところがよかったです。特に自殺してしまったジューンの前任の侍女が処罰を覚悟でクローゼットに刻んだ言葉には胸を打たれました。彼女は社会に押しつぶされすでに退場した、言うなれば敗者です。だけど彼女が自分の意志を示し、同じ立場の人に伝えたかった言葉はジューンを踏みとどまらせました。そしてジューンの行動は支配者側の枠にとらわれた人の心も揺さぶっていく。人間として目覚めさせるように。

顔も知らない彼女が残した届く確証のない言葉がジューンに届いたことに力づけられる人は多いのではないでしょうか。このまま黙っていた方が楽、私ごときが言ってもしょうがない、そうささやく圧力を押しのけ、自尊心を失わないように、正しいと思うことをしたとしても必ずしも報われるとは限りません。恥ずかしさややらなければよかったという思いが渦巻く中、それでもあれは私に必要だった、と奥底から湧いてくる言葉を支えとし、いろんなものを胸の内に秘め、進んでいる人はいると思います。そういう人にあなたの戦いは孤独なものではない、と伝える力がある場面でした。

 

設定から重いし、八方ふさがりの状況で始まるのでなかなかにしんどいのですが、意志は折れない、あなたはどうだ、と画面の向こうからまっすぐな眼差しを向けられてるようなドラマでした。

 女性が主人公ですが抑圧されているすべての人に通じ、認識の不確かさを思い知らされる作品なので、どんな人にも見てもらいたいです。