さわやかサバイバー

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新九郎、奔る! 第11集感想

新九郎、奔る!(ゆうきまさみ 小学館)の第11集感想です。

 

第10巻の感想に「いずれ貞親や貞宗みたいな、アオリの下から照明でドーンな登場するようになるのかな」と書いたのですが、それっぽい場面が実現したかと思ったら「紙だってただではないのです!」だったのが新九郎らしくて笑いました。

 

続きからネタバレ感想

 今川家の家督相続問題は遅々として進まず、新九郎自身もいまだ無位無官のまま、所領荏原は凶作続き…と華々しい活躍どころか、地味な問題ばかりで、しかもうまくいってないことばかりなのになんでこんなに面白いんでしょう。単行本を読んだあと振り返って初めて山場のなさにビックリします。それでいてユーモアに満ちていて「あー楽しかった!」とあたたかなふくふくとした読後感が残る。本当にすごいことです。

 

青くさい信念を持っていた主人公が歴史の波にもまれるうちに清濁併せのむ生き方を余儀なくされる…というのは歴史ものでよくある展開で、新九郎も今回、甥に家督相続させるため私文書偽造的な悪事に踏み込むことになってしまいます。しかし好感度が下がらないのは新九郎が自分の出世や欲のために動いていないからでしょうね。家のため、家臣や領民らのために真面目に働く過程で現実に即したやり方を知っていくわけで、多少正当なやり口でなくても読者も「それはしかたない」と思えます。年貢のちょろまかしのところなんて私のほうが「それはしかたない」と思うくらいだったのに、新九郎がまだきっちりと怒るのでちょっと驚いたくらいでした。

それにしても世間ずれしていくさまを諦めた目で見ていくしかないのではなく、この先の活躍や幸せを願いたくなるのは、現実を知っていく過程で新九郎の人間性がより豊かになっていくと感じられるからだろうと思います。もともと持っていた長所や美点が削られず、それに肉付けされてもっと魅力的な人間になっていく様子が描かれているから歴史的に大きな事件はなくてもこれだけの読み応えなのかなと。

 

考えたら「理屈っぽくて細かい」って歴史ものの主人公らしくない性格ですよね。破天荒なタイプのほうが起伏のあるドラマも起こしやすそう。それでも新九郎がただの堅物で終わらず、立派な主であろうとする信念や誰かを気遣うやさしさで動き、出会った人の忠告を聞き入れる柔軟性があるから彼の成長を見守り続けたくなるのだと思います。それは現実を教える相手側の人も魅力的に見せてくれるので、登場人物や作品に愛着が増していくのでしょう。

兄・八郎に手を下した相手である伯父の盛景に領地経営を教わる場面が印象的ですが、太郎のすすめで花見に行くことにした場面も、ささいなやりとりですがそういった展開のひとつだったと思います。「世の中が落ち着いたし、皆がこちらにいる間に花見にでもいくか」と新九郎が言うだけでも別にいいんですよ。それをまだ実務以外のことに目を向ける余裕がない新九郎と「たまに皆を連れて遠出するのも殿の度量」と忠告できる太郎、素直に受け入れる新九郎、というやりとりでふたりのいいところを引き出しつつ新九郎の成長に繋げてある。家臣だけどおさななじみでもある太郎だからさらっと進言できるというところも自然でいいですよね。好きな場面です。

わざわざ見せてもらった書状が偽物くさくても、八郎兄上や弥次郎の「むやみに知識ひけらかすな」という言いつけを思い出して余計なことを言わないで口をつぐんだ場面も「大人になったね…!」と笑いました。えらいぞ。

 

時代や状況によってはやるべきことのために人間性をそぎ落として行かなくてはならない場合もあると思います。そうでなくても歴史ものならいくらでもそんな展開にできそうなのにこの楽しさ。しかもその時代の厳しさもちゃんと描きつつ。すごいなあ…

 

 

大きな動きはないようでいて、思いがけず巻き込まれた今川家の家督相続問題を経て、つるとの再会で家督というものが持つ魔力をまたもや目にし、という流れで新九郎自身にも次代を意識させる道が着々と舗装されてきてるんですね。妻というにはおさなくて、そうなる姿がイメージしにくいぬいちゃんですが、あの肝の座りようは愉快で、新九郎とどんなコンビになってくれるのか楽しみです。といっても歴史知らないのでぬいちゃんが妻じゃなかったらどうしよう。