さわやかサバイバー

好きな作品の感想を書いています。カテゴリー一覧は50音順で並んでいます。

GIANT KILLING 単行本第37巻感想

選手や監督以外、フロント、サポーターやメディア等試合以外の描写も多いのが

ジャイキリの特徴です。

第37巻もまた一般的な「サッカー漫画」というイメージからかけ離れた展開でしたが

それでも面白いのがさすが。なんてったって…

 

続きからネタバレ感想

 

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GIANT KILLING単行本第35、36巻感想

達海がとうとう口に出した「タイトル奪取」

日本のトップとなるその目標のために打ち破らなければならない

現リーグ戦首位の大阪ガンナーズ戦の決着が着きました。

ガンナーズ戦では、もう一つの「トップの形」である国の代表選手への

各選手の想いがクローズアップして描かれ、

第36巻ではそれを引き継いで日本代表の様子が描かれることになります。

「首位」とか「トップ」とか「代表」とか、

ETUにとってもう絵空事ではなくなったんだなあ…

 

続きからネタバレ感想

 

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「大人になっても忘れない」その訳は ボンバーマンジェッターズBDBOX発売によせて

 2015年8月20日ツイッターの「ボンバーマンジェッターズBDBOX」公式アカウントによりボンバーマンジェッターズのBDBOXが来たる2016年2月2日に発売されることが発表されました。かつてDVDBOXが発売されていたものの廃盤となって久しく、放送より実に13年の時を経て再びファンの元へ映像が届く機会が訪れたのです。

 

よろこびの声の中で印象的だったのは、子供時代にTV放送を見ていて成長してDVDが購入できるようになった時には既に廃盤になっていた人々と、アニメや漫画を作られているクリエーターの人々からのものでした。「子供時代に好きだった思い出の作品」という枠に収まらず、大人になっても手元に置いて見返したいと思わせる魅力と深さがあり、「作品を作る側」の人にとっても色褪せず尊敬のまなざしを向けられる作品なのだと感じさせられました。

なぜそこまで心に残り続けるのか。「『大人になっても忘れない』その訳は」とタイトルに付けながら放送当時すでにいい大人だった私の(ごめん)思う所を軸に書かせてもらおうと思います。

作品の核に触れることとなりますので、知りたくないという方はご注意ください。

 

 

ボンバーマンジェッターズ」はゲーム「ボンバーマン」のキャラクターを基にアニメオリジナルのお話が展開される作品です。「宇宙に一つしかないもの」を盗みまくる「ヒゲヒゲ団」の企みを阻止するために結成された「ジェッターズ」に優秀な兄の後を追うようにして入った見習いボンバーマンであるシロボンの成長物語となっています。

ヒゲヒゲ団との攻防は基本ゆるいドタバタギャグが多く、この明るくかわいく温かな空気は最後まで継続されますが、行方不明になった兄マイティの存在が鍵となることは序盤から要所要所で示され、クローズアップされる第2クールと第4クールの終盤はかなりシリアスな展開になります。

マイティの存在と想いを巡り登場人物の心情が明らかになっていき、関わっていく人々の言葉や行いから心の糧を得てシロボンは成長していきます。クライマックスに向かう流れの中であからさまに怪しかった所はもちろん、その回こっきりだと思っていたギャグ回の登場人物やエピソードまでもが絡み合い、シロボンや登場人物を押し上げていく流れから受ける衝撃といったら鳥肌ものです。

全52話という長い期間、笑ったり心配したり悲しんだり怒ったり呆れたり、ここまで見て来た全てがシロボンの力になっている、自分たちはそれを知っている、見守るという形で共に過ごしてきたことによる一体感や共感がより忘れ難い作品となっている一因になっていると思います。

 

 

当初、私はすでにいい大人だったのもあってアンテナに引っかからなかったんです。それまでボンバーマンに熱中した経験もないし、子供向けみたいだから、この歳でわざわざ見なくてもいいかな、程度でした。

しばらくすると良い評判があちこちから聞こえてきました。絵はかわいいし、嫌いな感じじゃないし、ということでタイミングが合えば見てみるということを何度か繰り返していましたが、ゼロという登場人物が心情を吐露するあたりでガツンと心を掴まれました。

決して難しい言葉を使っている訳ではないし、むやみやたらに重苦しい雰囲気にしている訳でもない。それでも「死に場所を探している」と言われるような人物を世界観を壊すことなく存在させている。それまで見て来た回から、過剰に刺激的な要素を加えたりイメージや雰囲気ををぶち壊して視聴者の関心を煽るようなことはしない、バランス感覚に優れた、正攻法で作られている作品だということは感じていました。(第14話?あれは…あれは番外編のようなものだから…)ゼロという人物に惹かれたのもありますが、この作品が今までの姿勢を貫くならこんな複雑な人物や周りの人々の気持ちをどう決着付けるのだろうと気になったのもあって本格的にのめり込んで行きました。

 

結果、最終話でも信頼が裏切られることはありませんでした。死んだ人は帰って来ず、死んだ人の気持ちを全て理解することは叶わず、後悔が消えてなくなるという魔法のようなことは起こらない、けれど、誰かが誰かを大切に思い、語りかけた言葉やしてくれたことは残された人の背中を押してくれる。死んだり失敗することはそこで全てが終わり、断ち切られるということではない。悲しんでも苦しんでも君はいつか歩みを進めることができる、だから「大丈夫だよ」と、逃れられない事実とそれを受け止め越えていくための道、その先の希望をあの世界でそれまで積み上げて来た全てで真正面からきちんと伝えてくれました。

 

アニメの舞台はいわゆるファンタジー世界なのでタクシーで気軽に宇宙に行ったりするしそもそもボンバーマンのボムがどういう理屈で発生するか謎だし現実の物理法則などとはかけ離れています。でも死んだ人が決して帰って来ないこと、それが悲しくて辛いことは私たちの世界でも「本当」で、この作品はそこをごまかしたりファンタジーにはせず描ききってくれました。

前を向けるまでの過程でシロボンも、仲間のシャウトもそれぞれの大切な人の死を乗り越えられず苦しみ、混乱し、それでも前を向かなければという思いの中でもがきます。この二人には特に印象的な叫びのシーンがあるのですが、そこの台詞は自分の想いと相手へ伝えたいことが一緒になって爆発したようで筋が通ってないように思える所もあります。それでも痛いほど伝わるんです。その心情は「本当」で、「本当」を伝えようと力を尽くして描いてあるから。

「子供向けだから」と勝手に相手の理解力に見切りをつけて作品を作るのではなく、伝えたいことを力を尽くして描けば言葉で理解できなくても一番伝えたい核のところは受け取ってもらえると視聴者を尊重し、描ききってくれたことが当時子供だった人の心にも響き、そして成長してもっと多くのことが理解できるようになった時にも再び作品に触れたいと思わせてくれているのではないでしょうか。

また、その姿勢で作品を作り上げた結果、実際に多くの人に伝わり心に残ったということはクリエーター側の人にも力になったのではないかと想像します。

 

 

この作品は大人がとても格好いい作品でもあります。

「人生何が一番大変かって、そりゃあ同じことを続けていくことじゃよ。」

「誰が悪い訳でもない、じゃが誰にも責任がない訳でもない。」

今でも折に触れ思い出す私の支えとなっている言葉がたくさん詰まっています。

そんな迷える若者を支え、後押ししてきた格好いい大人も後悔を抱え続け、誤解を解くきっかけを掴み損ね、道を間違えて傷ついて来たと後半で分かってきます。それでも誰かのために言葉をかけて行動を起こしていたのだと知ると、それまでの台詞がさらに輝いて見えてきます。

今自分はあんな風に格好いい大人になれているだろうか。なれるだろうか。

あの時既に大人だった人も、あの時子供で今大人になった人も、あの時感じた、そして今あらためて感じる「大人になっても忘れない」ことを確認してみるためにも、より多くの人の元へBDBOXが届くといいなと思います。

そしてできればこれから大人になる人の元へも。

 

ボンバーマンジェッターズBDBOX発売決定、おめでとうございます。

おかえり、兄ちゃん。

OFF(フリーゲーム)

フリーゲーム「OFF」をプレイしました。

いやー、噂通り凄かった。飲み込まれました。

日本語版が出た時から話題になっていてずっと気にはなっていたのですが、

幸いなことに今まで大きなネタバレに触れることなく

詳細を自分の目で初めて知ることができて本当に良かったと思います。

なので興味を持っているけどまだやってない方は

この先の内容に触れる記事を読まずに、

乾いていて、不気味で、可愛らしくて、悲しくて、徐々にあなたを侵食していくOFFの世界を

まずはご自身で体験していただきたいと思います。

 

 

続きからネタバレ感想

 

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風姿花伝の言葉から見る少年ハリウッド

風姿花伝・三道」(世阿弥著・竹本幹夫訳注 角川ソフィア文庫)より

引用させて頂いた世阿弥の芸術論と

少年ハリウッド」のシャチョウによるアイドル論や作品中における展開の中で

重なると思われる所を抜き出してみました。少年ハリウッドはアイドルを扱う作品ですが、

「アイドルであるということは、アイドルになるということはこの世にとってどういうことなのか」

を非常に深く掘り下げているので、かえって普遍的なテーマに触れていると感じる所が多く、

能について書かれていながら、第一級の芸術論でもある風姿花伝と比較してみると

面白いのではないかと思ったからです。

考えが足りず、本来意図されていることとはズレている所もあると思いますがご容赦ください。

 

 

いかなる上手なりとも、衆人愛嬌欠けたる所あらむをば、

寿福増長の為人とは申しがたし。

 

シャチョウ:「出来ているのはキラだけ。でもそのステップには可愛げが全然ない」

 

 

 

されば、時分の花をまことの花と知る心が、真実の花になほ遠ざかる心なり。

 

時分の花、声の花、幽玄の花、かやうの条々は、人の目にも見えたれども、

そのわざより出で来る花なれば、咲く花のごとくなれば、またやがて散る時分あり。

されば、久しからねば、天下に名望少なし。

ただ、まことの花は、咲く道理も散る道理も、心のままなるべし。

 

花は心、種はわざなるべし。

 

シャチョウ:

「スキルのないアイドルは若さを失ったら終わりですからね」

「若さだけでかろうじてアイドルと呼べるだけ」

 

ゴッド:「17歳、です!」

 

 

 

花と、面白きと、めづらしきと、これ三つは同じ心なり。

いづれの花か散らで残るべき。散るゆえによりて、咲く頃あればめづらしきなり。

能も、住する所なきを、まづ花と知るべし。

 

いつもの音曲なれども、なほ故実をめぐらして、曲を色どり、声色をたしなみて、

我が心にも「今ほどに執する事なし」と、大事にしてこのわざをすれば、

見聞く人、「常よりもなほ面白き」など、批判に合ふ事あり。

これは、見聞く人のため、めづらしき心にあらずや。

(言葉が難しいので現代語訳も引用します:

いつも歌う謡であっても、いつも以上に秘事を尽くして、節回しを飾り、声調を工夫して、

自分の心中でも「今ほど一生懸命の時はかつてなかった」と思うほどに、

細心の注意を払ってこれらの演技を行えば、観客が「いつもよりずっと面白い能だ」

などと言って、好評を博する場合がある。

これは観客にとって、新鮮な感動があったということではないだろうか。)

 

シャチョウ:

「アイドルにとって一番恐ろしいものは、時の流れと慣れです」

「センターが変わるという、そこに本質はないんです。

 そんなことを続けても結局アイドルは消費され続け、ファンもいつかは飽きる。

 私が守りたいのは彼らです。

 彼らが今の状況に慣れてしまったら、アイドルとしての死が必ず訪れる。」

 

「彼らは今、一生に一度しか歌えない歌を歌っています。

 本当は毎日がそうなのに、人はすぐそれを忘れてしまう。」

「慣れは人を曇らせる。」

 

ハリウッドルール:二、いつもこの瞬間を最後だと思うこと。

 

 

 

物まねを極めて、その物にまこと成り入りぬれば、似せんと思ふ心なし。

 

<以下、「新編日本文学全集」(小学館)花鏡の箇所より引用>

 

申楽も、色々の物まねは作り物なり。これを持つは心なり。

この心をば、人に見ゆべからず。もしもし見えば、操りの糸の見えんがごとし。

かへすがへす、心を糸にして、人に知らせずして、万能をつなぐべし。

かくのごとくならば、能の命あるべし。

そうじて、即座に限るべからず。日々夜々、行住坐臥に、

この心を忘れずして、定心につなぐべし。

かやうに油断なく工夫せば、能いや増しになるべし。

(言葉が難しいので現代語訳も引用します:

猿楽の芸も、数々の物まねなどの「態」は、いわば操り人形と同じく造り物に過ぎない。

これをはたらかせるのは演者の心である。この心を、人に見せてはならない。

もし見てせては、操りの糸が見えてしまうようなものだ。

あくまでも、心を糸にして、人にはその存在に気づかせないで、

心の糸ですべての態をつながなくてはならぬ。

それができれば、その人の「態」には生命が宿るであろう。

右の心がけは、演能の場だけに限るべきことではない。

毎日毎夜、日常生活のすべての行動にも、この心がけを忘れないで、

いつも心で行動をつなぐようにせよ。

このように常に油断なく研究すれば、能はますます向上するであろう。)

 

シャチョウ:

「何かに成り切る力がない君たちが、どんなに歌おうが踊ろうが、

 アイドルに成り切れない人間が人の心を打つことはできないでしょう」

 

「全身全霊、食事をとる時も、眠っている時の呼吸ですら、

 アイドルのものだと思って過ごしてみてください」

 

小説版:

「本物の選ばれた人間になるには、ひとつ大切なことがあるんです。

 それは、本人が自分のことを選ばれた人間だと認めること。」

「自分を選ばれた人間だとひとたび思った瞬間から、何もかもが変わるんですよ?

 それを感じればいいんです。食べる物の味は変わり、肌の感覚も変わり、

 見える景色や色さえも変わるんですから」

 

マッキー:「さて、次はカケルだな。『少年ハリウッド』のモノマネ」

 

 

 

妙とは「たへなり」となり。「たへなる」といつぱ、形なき姿なり。形なき所、妙体なり。

(略)

しかれども、また、生得、初心よりもこの妙体のおもかげのある事もあり。

その為手は知らねども、目利きの見出す見所にあるべし。

ただ大かたの見物衆の見所には、「何とやらん面白き」と見る見風あるべし。

これは、極めたる為手も、我が風体にありと知るまでなり。

「すは、そこをする」とは知るまじきなり。知らぬを以て妙所といふ。

少しも言はるる所あらば、妙にてはあるまじきなり。

(言葉が難しいので現代語訳も引用します:

妙所の「妙」とは「たえなり」ということだ。そして「たえなる」というのは、

具体的に把握できない、形を超越した姿の形容である。

従って、形がないことが、「妙」の本質なのだ。

(略)

しかしまた、生れつき、まだ初心の段階から、

妙なる風体に類似する効果が発揮されている事もある。

その場合、その為手自身は自覚できないが、目の利く観客がそれを見抜くだろう。

また、普通一般の見物衆の目には、「なんとなく面白い」と感じる形で発現するであろう。

この妙所は、奥義を極め尽くした為手でも、自分の芸にはそれがあることを知っているだけで

「さあ、今が妙体の芸だ」とは認識できないはずである。

自覚できないからこそ妙所と言うのであり、少しでも具体的に指摘できるようでは

それは「妙」ではないはずである。)

 

テッシー:

「シャチョウがセンターをお決めになる時の一番の基準は何ですか?」

シャチョウ:

「良さを、言葉では説明できない存在が、センターにふさわしいんですよ」

 

小説版:

「新曲のセンターはシーマでいきます」

(略)

だけど、なんでだろう。

シーマが選ばれた時に、だろうなと思った。

説明できない何か。

シーマにはいつもそれが漂っている。

 

 

少年ハリウッドの引用の方は今私が「こんな言葉あったな」と思い当たる所のみを見返して

確認して書いたものなので、全部ちゃんと見返すとまだ当てはまる所があるかもしれません。

ひとつの道のみを突き詰めながら、それは観客があってこそのものだという、

狭いようで開けている視点が両者ともにあるから共通する所があるのかなと思いました。

少年ハリウッド 第26話メモ

少年ハリウッドの感想メモです。

第1期(第1話~第13話)視聴済み。

小説版の内容に触れることもあります。ご了承ください。

 

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少年ハリウッド 第25話メモ

少年ハリウッドの感想メモです。

第1期(第1話~第13話)視聴済み。

小説版の内容に触れることもあります。ご了承ください。

 

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