私立探偵ダーク・ジェントリー シーズン2 繋がる世界

 Netflixで私立探偵ダーク・ジェントリーのシーズン2が配信されました。なんでもありのハチャメチャドラマに見えて最後には全ての要素が繋がっていく様子が痛快なシリーズ、今回はファンタジー世界にも足を踏み入れます。

※シーズン1のネタバレ感想はこちらから→

「私立探偵ダーク・ジェントリー 終わりからもう一度」

 

続きからシーズン2のネタバレ感想

 

 

 ダークジェントリー、英語でのタイトルロゴにはシーズンごとの象徴のようなデザインがされています。シーズン1では「3つの問い1つの答え」を表すような3つの円とそれを繋ぐ大きな三角形が描かれているのに対し、シーズン2では2つの円が重なるデザインがされていました。まるで2つの世界の交わりであるような、選択を示唆するような、繋がりを表すような。それが「i=私」の上の点であることが響いてくるシーズンでした。

 

 能力のせいで孤独な人生を送ってきたダークやバートはシーズン1で事件を通じて人と繋がることができたけど、そうなると能力への対応も変わってきちゃうよね、さあどうする?という所が問われるシーズン2。過去を踏まえての現在が描かれたシーズン1があったから「その先」へ進める訳で、シーズン1での成長や変化がちゃんと土台になっているのいいですね。

 大切な人ができたから自分の能力のせいで傷つけるようなことはしたくない、いっそ閉じこもった方がマシなのかもしれない、って心理が「檻に入る」って状況になるのがあまりにもまんまでおかしい。しかもガバガバで出入りできるし閉じこもろうとしても向こうから開けてくることもある。出るかどうかは自分の意志次第なんですね。

 凄い能力持っててもそれゆえに孤独な人生を送ってきた能力者たちは決して超越者なんかじゃなくて傷つきやすい心を持った1人の人間だということをかっ飛んだ展開の中に手練れのタイミングで差し込んで来るので彼らが閉じこもりたくなるのも自然に飲み込めます。むしろずっと孤独だった彼らは切実に誰かとの繋がりを求めていて、なのに知らないから求め方も表し方も不器用で滑稽で切なくて愛おしい。新しい事件に喜んだかと思ったら急に及び腰になったり、殺さないから親友になる?とか言ったり。加減を知らないし隠し方も下手くそ。だって知らなかったんだから。そんな時シーズン1で出会った人が手を差し伸べてくれるというのは嬉しくなります。

 

 トッドは無事ダークと再会できましたがケンはブラックウィング本部に捕らえられてしまったためにバートに会えない。檻の中に閉じこもっていても事態は悪化するばかりだよということがたびたび示唆されますがパートナーにも当てはまっていきます。それは身体的状況だけでなくて心理的状況にも。今は異常だ、普通に戻りたいと考えていたトッドがアマンダとの会話を通じてこのヘンテコな人生が自分の人生と受け入れていったのに対し、檻の中のケンは現実に触れないまま現実をコントロールしようと変容してしまう。

 初見ではひとつひとつの出来事の強烈さに圧倒されてしまうけど、実に繊細にテーマに沿った相似や対比が配置されていて、それぞれの人物が関わり合うことによってまた変化していくので本当によく練られているなと思います。

 シーズン2からの登場のスージーもまたトッドと対になる人物です。みじめな生活をしていて、棚ぼた的に脱する機会を得る。だけど脚本のマックス・ランディス氏にはそうやって得た己の力によらない変化は不幸を招くという信念があるらしく、スージーもよい結果にはならない。トッドもかつて大失敗しました。だけど周囲を切り捨てていったスージーに対し、トッドは七転八倒あったものの、リディアを救うという誰かのための行動を最後まで貫いた結果、過去を受け入れることができ前に進んでいった。シーズン2で2人ともファンタジー的な力を現実に作用させますが、スージーの力が外から手に入れたものなのに対しトッドは自分の中に宿るものであったり、スージーが元いた世界を捨てて新しい世界の女王になるために使うのに対しトッドは2つの世界を繋げるために使ったりと由来や使い方が対比となっています。パラリビュライタスの現象が現実化する力もある意味脳内だけの世界を現実と繋げる作用と見ることができるかもしれません。

 

 そうやって対比を探すことはできますが2人に限らず誰も役割のためのキャラクターになっていないんですよね。成長したトッドだって我が身とアマンダ大事さにウェンディムーア放っとこうとしてアマンダに怒られたりする。成功して自信満々な人なんていなくて、かたよってて足りてない所だらけの変な人たちがジタバタしながら生きている。社会からはみだした人たちがとんでもない状況に巻き込まれてさらにしっちゃかめっちゃかになりながら、それでも人と繋がり進んで行こうとする人は理解者を得たり人生の意味を見つけたりする。だから愛おしくて幸せを願いたくなるんですよね。

 と言いつつ、シーズン2は個人的に引っかかった所も。血生臭い場面が増えてて見るのがちょっときつい時がありました。好みの問題なんですけどね。シーズン1の後マックス氏の作品をいくつか見たのでポンポン人が死ぬ傾向なのは分かってたつもりですがそれでもウッとなる場面がありました。ダークやバートが歩み始めた道に立ち塞がる障害の大きさを表すためだったことは分かりますが、物語に大きく関わる人も含めてあまりに人が死んだため、かえって「あ、これは後でなんとかなるな」というのが透けて見えてしまい、若干登場人物が物語のために消費されている感じを受けてしまいました。

 

 役割のためのキャラクターになっていないと書きましたが、自分の能力の意味に悩んでいたダークは世界を修復するという役割を知り前に前に進む力を得ます。ここでの役割は作品全体の都合という意味ではなく、人生の目的とでもいうようなものでダークがそれを見つけたことは喜ばしいことでありますが、それもまたそれだけでいいのか?という疑問が同時に提示されているように思います。なぜなら同時にバートは役割があるということを「結局自分は人形でしかない」ととらえているからです。世界にとって自分にも役割があることを存在に意味があるととらえることと、自分はそれだけのために存在しているととらえることは表裏一体。もちろんダークとバートの状況の違い、能力の違いによる所もあると思います。バートの人柄に麻痺してしまうけど人を殺すという繋がりを断ち切る所業はやはり世界にとって好ましくないものなのかもしれません。こんな予想を超えてバートが人殺しに意味を見つけることも、役割を超えた人生の意味を見つけることもありうると思っています。だからダークも役割見つけて終わりではないのかなと。とにかくバートにはこのままでいてほしくないですよ!

 

残念ながら現在の所BBCAによるドラマ版の続編は望めないとのことです。ですがNetflixの再生数も力になるようなので一度見られた方も再度見てみてはいかがでしょう。全体が掴めてから見ると頭の中で整理されてより分かりやすくなってるし、見るたびに発見があるドラマですよ。