twitterに上げた灼熱カバディの感想をまとめたものです。
続きから第16巻ネタバレ感想
第150話
上手い!奏和は全力で警戒してるから、ちょっとやそっとでは油断してくれない。そこで守備としては当たり前の「避ける行動」を風穴にしちゃうっていうね!自分はちゃんと守備をしてる、という思考の隙を突くクレバーな戦法でした。が…!
サッカーの時みたいにボールや他の味方に注意を引き付けたりできないし、コートも狭いカバディではサッカー以上に隙を突くのは難しいのではないかと思います。そこを持ち前の学ぶ力、思考力で突破するのがカッコいい。もう一つの武器である速さと合わせれば相手が一歩出遅れれば十分なわけで、植野は即座に反応できなかったし、片桐も遅らせることしかできなかったのを見れば、宵越の選択は正しかったんですよね。ただ六弦が規格外すぎた…!
ていうか他の誰もできないよあんなの。結果が出なければいくら正解だって言っても宵越のなぐさめにはならないんだろうな。でも彼のいいところが出た攻撃だったと思うので気を落とさないでほしい。
おっ、秘蔵っ子攻撃に出るのか!ここで初めて先輩たちの絆に気付いたようだし、理論先行っぽいし、緒方くんはチームスポーツ経験ないのかな?ただ奏和で理論だけの選手が試合に出られるとは思わないので、どんなことしてくるか見ものだな!
第151話(前編)
様々な選手の可能性に目を輝かせていた頃と、自分ではやろうとしなかった態度と、1年生らしからぬ技術を見せた今回の間に何があったのか、これから語られると思いますが、初心者の背中を押すようなエピソードになるのかな。人見ちゃんの時のような。
畦道も初心者だけど体格も才能も恵まれてた、ってタイプだからねえ。そうではない人間が自分を勝負の場に入れる、盤上に上げることに、どんな意味を見出すのか。
「人が見たいのは天才同士の戦い」という言葉や、高谷が感じた怒りの感情から考えると、凡才の自分には入ろうとする資格すらないのは分かってるから才能がある者はやりぬくべきだ、と思っていたのかも。
自分自身に言い訳するような態度は、目だけ肥えちゃった素人が陥るジレンマじゃないでしょうか。自分のレベルの低さを知らなければ絶望しなくてすむから。
しかしたくさんの可能性を見て、見極める目を持ったからこそ自分の可能性を見切ってしまったようなのが皮肉です。そこで終わりではないんでしょうが。
灼カバは結果が出なくても努力は美しい、みたいな綺麗事は言わない漫画なので、この屈折をどう扱うのか気になります。ただの予想だから全く違ってても許してな!
第151話(後編)
いきなりの活躍の裏に特別なことなんてなかった。たくさんの輝く才能を見てきた凡人の中に生まれた「自分なら…」という衝動を受け入れる発展途上のカバディという競技があって、そこで試行錯誤を重ねた結果だった。
セオリーが確立されて競技人口も多いメジャーな競技なら、緒方くんはたぶん挑戦しようとしなかったでしょう。優秀な選手を知っているからこそ自分を試そうという気すら起きなかったと思います。
彼のような人はたくさんいると思います。でも、まだまだこれからの競技があったとしたら?見てるだけの自分だったけど、その見てただけのことが武器になるとしたら?ひょっとしたら、と共感をともなったワクワクが掘り起こされていくのを感じました。
以前、カバディはマイナーで自分から進んでやろうという人がまだ少ないからこそ、伊達や律心のメンバーのように、挫折した人ややりたいことが見つからない人の受け皿になっているのでは、と書いたことがあります。今回はまた別方面で受け皿となってくれる可能性を見せてくれました。マイナーであることさえもドラマを生む魅力として描いてしまうのすごいよ。もちろん、この先の発展を期待しての上ですが。
カバディ一本でやってきて芯にカバディへの強烈な愛がある王城部長と、いろんなスポーツ見てきたけど自分ではやってこなかった緒方くんが「勝つためにはなんでも取り入れる」姿勢は一致しているのが面白い。ベースが異なるからそれぞれ違った方向で裾野を広げてくれそうです。
見てきただけの人間がいきなり戦えるわけではないし、認められるまで大変だっただろうけど、それを支えるくらいの思いや熱量があったことを自室のふせんだらけの本の山が教えてくれましたよね。
自分で頭でっかちと分かってる柔軟さや、失敗をハイライトと言って今後の成長へに繋がるものと前向きにとらえているのがいいんだなあ。苦しくても頭の中だけで描いていたことが現実で検証できて、形になっていくのを見ていくのは楽しいんだろうね。
(今まで自分が見てきたもの同士が結びついて、アイデアが生まれた時の高揚感はジャンルは違っても分かる気がします。「あっこれいい!でも誰が描くんだよ描けねえよ!」って思っても押さえきれない。結局自分の力のなさにガックリきつつも、形にできたときはめちゃくちゃうれしいんだ。)
亜川監督もプレーを見て賞賛してたけど、絶対好きでしょこういう選手。話したら盛り上がりそう。そして私も体格や才能の及ばないところを知識や戦略で埋めていく選手は好きなんだよ。困ったなあ困ったなあ。どんどん好きな登場人物増えていくよ。
第152話(前編)
前回その情熱に感動したのにー!だめだこの子ハアハアしとる!溺れるタイプの策士にはなるなよ!
緒方くんの読みはたいしたもんなんですが、それでもデータはスポーツからだけ。イッツアヤンキースタイルのカチコミは吉と出るか凶と出るか。
以前自分でも指摘していた通り、一部の天才などセオリー範疇外の相手には読みが通じないことは分かってるんですよね。だから水澄のスポーツ歴の浅さを逆に利用するようなセオリー外の攻撃なら通用するのかな、とか。
ストーリーのお約束から言っても、ヤケおこしただけではないよね。対部長との練習以来、考えたプレーができるようになってきてますし。ただ緒方くんはそのつもりなくても、舐められるってのは水澄の逆鱗に触れることだから、見た目以上に腹は立ててるだろうなあ。もともとの気の強さに考える力が加わっていい感じに成長しているので、どんな手出してくるのか気になります。いや手はひっこめてんだけど(ややこしい)
かつての自分を敵の中に見た時、奏和メンバーには垣根を越えた妙な共感が生まれていた…なにこれ。録音した自分の声聞くだけでも恥ずかしいもんな。えっ自分こんな?って。みんながイヤッやめて!ってなってる空間、楽しそうなのでその場で見てみたい。ほらな、みたいな緒方くんの無の顔がツボ。
でも本当に水澄どうするつもりなんだろう。リーチはなくなるしバランスもとりづらくなってるし。井浦にもほめられたケンカ時の体さばきを駆使してなんかするのかな。どうかな。わかりません!!(正直)
第152話(後編)
「点は勝手に来てくれる」見事な発想の転換!
ケンカにあけくれた過去と、守備の見方が合わさって生まれた、水澄にしか思いつかない攻撃方法じゃないですか。思考が「カバディの選手」になってきてるのも見て取れるいい攻撃。
Jリーグで得点王になった大久保嘉人選手は「自分は動かなくてもゴール付近になればディフェンダーが動いてくれる」と語ったらしいです。阻止してくる相手をどうかわすか、ではなく、相手の動きを利用するという考え。従来とは異なる視点への気付きはゴール量産を後押ししたと思われます。
他の人にはない視点はこれまでにない突破口となるかもしれず、大活躍に繋がる可能性があるわけです。そんなスケールを予感させられたことがうれしいし、しかもコンプレックスだった過去から生まれたのが泣ける。
舐められてカッカしてるのかと思ったら、六弦に対しても過去のデータから力量測れるくらい冷静でしたね。こちらの予想以上に落ち着いて試合に集中できる、立派な選手になってた。
私は「その人が世界をどう見ているか」に興味があるので、水澄の成長に「カバディ解像度高くなってるやん…ヤンキーのころとはもう全然違う風景が見えてるやん…地続きなのに違う人やん…」って興奮しました(わからなくて大丈夫です)
ただ問題は水澄よりずっと前から六弦はカバディ選手だったってことなんですよね…!宵越の時もだけど、伸びた分を押しつぶしてくるような圧倒的な力量と経験にウヘェってなっちゃう。
外園が指摘している点につけ込む隙があるのかな。確かに仲間をフォローしながら戦い、関の守備に「脇役なんていない」とすぐさま考えを改めた外園と比べて、六弦は王城部長だけが目的で周囲が見えてない感じ。だけどそのぶん、かける想いが激烈だから押し切られそう…怖いよー!
第153話
いまだ頂点を知らない六弦を、すでに通過してきた高谷の視点から描くというのが面白い。自分が通ってきた地点をストイックに目指すだけの人、という認識が引っくり返されて、荒々しく煮える渇望を目の当たりにして、思わず肩入れしたくなっていくのを高谷を通じて追体験したよう。
トップレベルながらも頂点を知らない人間、という共通点だけなら、宵越も六弦も高谷にとって同程度の「どうなるか見もの」な存在だったんじゃないでしょうか。言葉は悪いけど高みの見物的な。
才能に恵まれていたために、素の自分のままで、やすやすとたどり着いてしまった場所。競い合うことを喜びとする高谷にとって絶望も連れてきた頂点に、自分を憎まれ役にしてでも到達したい人間がいることを知って圧倒され、興味をひかれたのではないかと思います。しかもそれが自分の知らなかったチームプレーの楽しさを教えてくれた人なら、これが最後の機会になるのなら、余計後押ししたくなるってもの、ということなのかな、と。
一人のスポーツマンとしてはある意味六弦の先を行く高谷が、あの自分勝手な高谷が、尊敬し、自らフォローに回るような関係になってきたのが心に響きます。
前回外園が指摘したことも六弦は知らないわけじゃなかったんだな。分かったうえで自分が正しいと信じるリーダー像を選んだんだ。それでもついてきてくれた仲間を思う優しい顔よ…知ってる、お前がいいやつなのは知ってるからな…!
こんな回読んで無茶言うわ!ってのは重々承知の上で宵越には怯んでほしくないな…!宵越の「テッペン取らなきゃ解けない呪い」の重さも知ってるからさあ!
植野ー!大丈夫か植野ー!外行くかー!しんみりした回想シーンに体張って笑い取りやがって…!病気だとか不遇なタイミングばかり描かれるわりにスタメン食い込んでるのは逆にすごいのではと思えて来たよ。
そんでお前は髪のセットとか気にするタイプだったのか木崎。ほら眼鏡さんにつっこまれてるじゃん。六弦をごはんに誘ってるのもお前か木崎。なんでそう最近親しみやすさとか可愛げ出してくるの?別に気になってるわけじゃないけど?フーン???
第154話
発揮される「超攻撃的守備」の真価。
怖ぇぇ…!守備っていってもずっと王城部長を狩ることが目標だったんだものな。行き詰まる宵越に予想外な形で手が差し伸べられましたが?そんなキャラだったっけ?
何度目かの「武蔵野先生、宵越に容赦ねえな…」ターンがやってまいりました。高谷には今の宵越の延長線上にある理想の守備を見せられて?六弦には「もっと優れていたらあの時のままでも守備に貢献できた」とスタート地点から枝分かれした別の可能性を見せられて?どんだけへこますの?
それでも宵越ならどれだけ壁が高くても突破する道が見えていればなんとかするだろう、という信頼があるのですが、今回はそれさえも見えなくなっているって相当だ。宵越の動揺がこちらにもうつって余計追い詰められた気持ちになります。
あーそりゃ高谷なら見逃すはずがないよな!伊達の豪快な助け方にも驚きましたが、その後だよ。いや普段は結構ふざけるけどさ、こういう場面で似てないモノマネするタイプじゃなかったでしょ?水澄の的確なツッコミ何度見ても笑う。さすが相棒。
慎重な伊達が前に出てこようとするくらい変化したことの表れなんでしょうか。たぶんですが、部長や水澄や大和と比べて自分は足りない、と思っていた場面が多かった伊達だからこそ、今の宵越の焦りや無力感を感じ取ったのかもしれません。
慣れないことして、ここからどう続けてフォローしたり叱咤したりするつもりなんだろ。やりっぱなしじゃないよな伊達さん?
第155話
宵越の負けず嫌いも伊達のパワーも、本来強みとなるはずの特性がその人を追い詰めていた不幸な状況から脱却し、力を発揮していく様子にはいつも心打たれます。灼カバにおける出会いは希望の象徴だね…受け継がれ、与えた人に返っていく循環がまた泣けるじゃないか。
似てないモノマネなんかしちゃって、どうオチつけんの?とかはしゃいでゴメンよ…自分がしてもらったことを後輩にもしようとしてる、立派な行動でしたね。
策略やらあくどい手やらを使ってる印象がどうしても強いだけに、井浦がまっすぐに伊達を励ましているのに驚いたけど納得できたしすごくよかった。合宿の帰り道での1年生3人組に対するフォローとかもそうだけど、この人よく見てるし面倒見がいいんだよな。
だから思いつめがちな伊達の性格を察したうえで、足りないところは頼れと負担を軽くして、伊達が自分の特性に自信を持てるよう導いたんでしょうね。天才に置いて行かれないよう、できることを積み重ねるしかない井浦自身の姿を重ねていたのかもしれません。
コンプレックスが根底にあろうと、井浦が積み重ねを後輩を頼らせるくらいの自信にまでしたのがかっこいいし、それを受けた伊達が自分の特性に正当な自信を持てて、伸ばして今回結果に結びつけたのも、宵越を導く側に立ったのも、もっかい言うけど、泣ける。
過去回想、「伊達君」呼びとか水澄と伊達がまだ仲良くない様子とか、時間の経過を感じさせる描写にニヤニヤしますね。悩んでてもジムに行くとウホウホが止まらない伊達、ゴリラがすぎる。あと井浦は26歳くらいになったらもう一度その髪型にしてほしい、個人的に。
そしてあの高谷を震え上がらせた一言!高谷にとってはひねくれてない伊達みたいなタイプって読みやすいんだと思います。自分の想定内で収まると思ってたはず。そんな相手にやられると怖いわな!
何回か書いてますが灼カバでいいと思うのは本質が変わらないところなんですよね。今回も井浦の手引きで煽ってただけだし。だけどそうやってその人らしさはそのままに、新しい段階へ進んだり、スケールが大きくなっていくのは、各人物の個性を大事にされてると感じられて好きなんです。
あと触れずにおれんだろう佐倉くんの表情…!「なにやられてるんだよ」ってこと?あーそっちかそういう反応ですかあ!新しい一面引き出してくれた高谷と伊達グッジョブ!ナイスプレー!エクセレント!!心の16連写が止まらねえ(?)
第156話
灼カバ、毎回盛り上がりと引きをきっちり入れてまとめるだけでなく、その回だけの「見せ方のテーマ」があるのすごすぎない?初連載で週刊連載よ?今回の見る者/見られる者、中/外の構造を鍵に紡がれていく登場人物の感情のうねりも見事でした。
例えば前回で言うなら「掴む」とかですかね?井浦の助言で伊達が鍛えなおしたのが掴む力でした。その力が宵越のピンチを助け、高谷を倒す結果を生み出した。身体的には恵まれているのに結果に繋がらず、自信が手のひらからこぼれ落ちていった伊達が掴んだ手応えの形と見ることができると思います。
また、宵越を助けた時の「手を伸ばす」「すくい上げる」などの、「掴む」に関する一連の動きは心情面でも宵越をフォローした比喩と言えます。かつて自分が井浦にそうしてもらい、そして今後輩を助ける側になった流れも連想させ、イメージが幾重にもなることで印象が深まっていくんですよね。
今回はなんといっても「畦道のかわりに抱きしめてあげたい…ッ!」ってなる彼女さんの健気さがギュンギュン来るんですけど(でもベッタリってんじゃなく、それぞれやりたいことやるのが当たり前って自分も相手も大事にしてるのすごくいい)次第に畦道の抱えていた寂しさも見えてきます。
昔も今も畦道を「見る側」なのに、畦道が新しい世界の中へ飛び込んだことで、立ち位置がいつの間にか外側になっていた彼女さんの寂しさが胸に迫るんですが、畦道にも望んでいたのにずっと中に入る=真に仲間になる機会がない寂しさがあったんですね。
それでもチビッ子の相手してあげるような優しさが畦道にはあったから余計本気でやりたいことを応援してあげたいと思ったのだろうし、叶ったことを歓迎してるのだけど、という、この切なさがね!二人ともいい子なんだよなあ。
そんな寂しさを抱えていた畦道だから宵越の変化に誰よりも早く気付くことができたんだと気付かされるエピソードでもありました。第1話の「途中からいいカオしてたべよ」や、第3話の「やっとな、少しずつ…入って来た感じだ」宵越が中に入る=真に仲間になっていく様子を畦道は見ている。
彼女さんに送った写真が奏和との練習試合の後の時だったじゃないですか。あれは畦道が勝負の世界を身をもって知った瞬間ですよね。ここでは宵越の方が先にその世界を知る先輩で、畦道がそこの中に入る、という構造です。
宵越が「誰が誘ったからカバディやってると思ってんだ」って畦道を奮起させるのがまた!この二人は最初から互いが互いを引き入れ、相手を見ることで刺激され、高めあっていっている。
第1話から続くリフレインが今回もまたコート外の宵越を畦道が攻撃を成功させて中に引き入れる、という形で描かれてるんですよ。それがどれだけ宵越を焚きつけたのか、もう言葉はなくて絵でガン!と見せるだけ。十分伝わってきますよね。あの目の輝き。すごくいい絵。
攻撃はターン制、コートの外に出た選手は基本何もできないシステムが効果的に使われてる展開ですよね。カバディのルールと物語の盛り上げのリンク上手すぎでしょ。どうなってんのこれ。
灼熱カバディ、こんな風に回を重ねるごとにうまみが増す漫画なんで本当長く続いてほしい…!
※追記
すみません、宵越はタッチされてないのでコートの外に出てませんでしたね。勘違いしてました。この回冒頭でメガネの観客が「宵越に打開策がないなら」と、教えてくれてました。宵越が攻撃に出られるのにあえて畦道、だったんですね。
宵越が自ら「攻撃手として」コートに戻る闘志をよみがえらせた、という感じで読み替えてください。
第157話
たぶん今、六弦の「どうしてカバディをやるのか」が変化していくのを目の当たりにしてるんじゃないでしょうか。佐倉くんもだけど、大きな影響を与えた人物はいても、そこによりかかり続けるのではなく、さらに進んでその人にしかなれない選手になっていくところ、好きです。
王城正人と戦って勝ちたい、が六弦の中で大きな場所を占めているのは変わらないとしても、勝負そのものよりも勝てる自分になりたい、に重点が変わってきているような。それは勝負の結果がどうであれ六弦歩という選手の可能性は広がっていくだろうとポジティブな予感を与えてくれます。
ずっと目標にしていただけに、勝ってしまったらそれで終わるような、そうでなくても糸が切れる懸念は自分でもあったんじゃないでしょうか。そんな時3年生仲間が満点とはいかない部長の働きを認めてくれて、カバディそのものだってこれから好きになればいいと言ってくれたのはやっぱり救われたんだろうな。
歪んでいようと片寄っていようと、灼カバはそれまでを否定しない、切り捨てないんですよね。
不破はあまり他の選手気にしないのかと思ってたけどよく見てるよなあ。高谷と佐倉くんの癖も見抜いてたし。めったに表に出さないけど何思ってんだろ。
ところで相手と最高の勝負をするために自分のすべてを出すって、自分のためのようで一周回って相手への感情のベクトルがはちゃめちゃに大きいような気もするけど、ワシゃあもう分からん。六弦ファンの人考察してください。
前も言ったけど自分から井浦慶のお名前たずねたから、その後常にフルネーム呼びなのほほえましいよね。
ここ数回、ツルツルじゃない畦道とか僧帽筋が盛り上がってない六弦とか、「確かにあったかもしれないけどちょっと想像しづらい姿」をさらりと出されてビビります。どれも「でしょうなあ!」という納得度なのがすごい。いや先生自身が描いてるからそりゃそうだと言われればそうなんだけど!
畦道が髪の毛あるからって急激に二枚目になってないのとか、六弦がムキムキじゃないけどそれなりに筋肉はついてるらしいのとか、さじ加減が絶妙っていうか。じゃない?じゃない?
第158話
サッカー時代、宵越は常に一人で先を走り、仲間は彼に付いていけず離れていくばかりの存在でした。それが仲間の元へ帰るために走れるようになったんだなと思うともう…!しかもあんなまっすぐに「ありがとう」を!あの宵越が…!
もともと運動能力に優れていたために知ることがなかった恐怖。論理的に考え、学ぶ意欲もあるため、何が足りなかったのかが分かれば宵越は対策がいつもできました。しかし恐怖に理屈は通じない。体が勝手に怯む。押さえつけてくる恐ろしさを仲間の顔見たらはねのけられたって感動話なだけでなくて、それが宵越本来のよさ、考える力を取り戻させて六弦を上回ったというのがいい。
宵越の身体能力と思考能力があったから上回れたのだし、しかもそれは六弦の対応力を信頼しての上なので、思いがあればなんでもできるみたいな甘い話で終わってないし、六弦のすごさも貶められないんですよね。こういうバランス上手いんだよなあ武蔵野先生は。
上を飛び越える動作は畦道との絆が引き上げてくれた、すくい上げてくれた比喩でもあると思うんですが、他にも恐怖を乗り越える、課題をクリアする、過去の自分を超えるなど、多くのイメージが重なって美しくダイナミックに心揺さぶられます。
仲間のおかげで競技に復帰した佐倉くんなだけあって、誰かのために戦うことについての言葉は実感をともなった重みがありますね。そして現在「自分のために」を探し始めた彼だからこその視点なんでしょう。
ただ高谷もこの試合でかなりの行動や思いを六弦に割いています。それが先輩が引退したら自分が面白くない、という自分本位のきっかけからでも、重みが増せば「誰かのために」に近くなるかもしれず、結果的に変化をもたらすのではないでしょうか。
これまでだって脅威だったのに、王城部長とのやりあいで底なしの渇望も見せてんのに、この上変化するとなると、うー怖いな…勝手な予想だから実際どうなるか分かんないけど。
あーでも水澄にやられたときも「個人競技じゃねーんだ」って言われてるんだった。自分にないものを持つ相手が結果を出していくのを見て影響されていったりするのかな。2年生同士の化学反応も目が離せないよ見どころだらけだよ。
第159話
普通は最高の自分を想定したところでその通りにいかないもんなんだよ!もう完成されているのならその先の成長は見込めないのが定番なんですが、高谷の最高は相対的なもの。相手が強くなれば高谷もまた伸びる…て厄介だな!
以前も「オレならどうする?」と自問しながら攻撃してましたね。常にイメージがあるんだ。それができてしまうのがまず只事じゃない。それに「できるけど体が悲鳴上げるからやめる」ってことも生きてる実感得られるならためらわない。つまり止まらない。厄介だな!
宵越が仲間の力で成長した流れは高谷にも影響するのかな、と思ったら強烈な個で打開してきたかあ。いやあ読めない。でも安易にストーリーのためにキャラ曲げないところが好きなので今後も翻弄してください。灼カバはいつも背景持ったキャラが動いたところにストーリーが生まれるのですよね。
と言いいつ、自分のためだけじゃないっぽいラストの行動が何を意味するのかワクワクしておりますよ。変化あるのかな。
揺らがない自分を強みにしながら最高の喜びは誰かと競い合うことで、相手に合わせる悪癖は強敵相手なら底知れない力を引き出す。単なる気まぐれな自信家じゃない、矛盾を抱えつつ魅力的なキャラになったよねえ高谷。