さわやかサバイバー

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ワールド イズ ダンシング 第4巻感想

少年期の世阿弥を描く漫画、ワールド イズ ダンシング(三原和人 講談社)第4巻の感想です。

 

続きからネタバレ感想

第二十九話 リンボ

やはり境界を越える物語なんだ。
栄光の比喩や人の心に残る輝きとしても描かれてきた「花」。それを敗れて去った徳さんに手向け、彼の衣を引き取る場面、鬼夜叉の優しさとこれから目指す先が見えてとてもよかった…

 

この世は無常…みたいな空気が続いたあとに挟まれた子供とのエピソードが温かくて救われました。忘れなければ、と思っても鬼夜叉は目の前で置き去りにされている人を見過ごすことはできないし、背負っていける懐の深さがあるんですよね。

「おまえは違うの!」の声を「いいな~」に変えたのは鬼夜叉です。他愛もない子供の遊びの中だけど、彼はここで世界を変えたんですよね。

 

人の思いを背負うことはしんどい。けれどもはじき出された人が忘れ去られる世界にはしたくない。疎外感を抱えて生きてきて、縁の外ギリギリまで行った鬼夜叉だから、そういう人たちの気持ちがよく分かるのでしょう。

そして最後には舞うことのできる場所、「こちら側」を選んだ自分が外側の人たちのことを切り捨ててはならないのだと使命感を抱く。自分も完全に外側に行ってしまって一体となるのとは違う道を選んだ、そこに舞である意味がまた生きてくるのだと思いました。舞とは越境するものだから。

 

白拍子を通してひとりひとりの心の叫びとしての舞を知り、新熊野の経験を通して歴史と人の営みに寄り添ってきた舞を知ってきた鬼夜叉の心のうちにとうとう自分の願いが生まれたことが感慨深かったです。

舞と自分についてのこれまでの経験は「そうであったことに気付く」側面が多かったように思います。言葉にならない感情の発露であることも、人々が紡いだ歴史の先端にいることも。それがここにきて鬼夜叉の中から生まれたものが舞と結びついたんだなあと。

 

これまでかかわった人たちとは全く違う視点の持ち主、生まれながらの勝者と描かれた義満に伝えるのはまたハードルがものすごく高そうなんですが、すでに計画があるようで。鬼夜叉、どう届ける?

 

第三十話 増次郎

 増次郎…もっと違う形で「今日の舞台は二度とない」と思えたらよかったのに…
増次郎にとっては悲劇だった火事をヒントに鬼夜叉が舞台の秘策を思いつく展開が対決の期待を煽ってくれます。勝敗とは違う影響を与えるのかも。

過去のとらえ方が変わるような舞台になるのかな。猪丸が増次郎のボディガードみたいにしてる理由もわかりましたね。ずっと見てたんならそりゃなあ…

 

「確かに!!」相手は将軍だからこっちの言うこと聞かなくていい!確かに!何度見ても笑う。鬼夜叉のおっとりしたところ好きです。犬王の手伝い一通りしたあとでの「タダ働きなのでは!?」とかも。

単行本第3巻の解説にあった「ほけほけ」ってこういうところなのかな。公家が十代の世阿弥を評した言葉だそうですが、現代でも使いたいかわいさです。ほけほけ。

 

第三十一話 卒都婆小町

 歴史ものの醍醐味って様々な解釈や「あの事実の裏にこんな物語が」が見られるところだと思うんです。世阿弥が改作したといわれる事実にこれまでの物語が集約していく展開、鳥肌ものでした。徳さんと見た都の外、極楽の外、縁の外…卒都婆(そとわ)。

そしてそんな打ち捨てられた人たちの中に残る「花」。舞台上でのやりとりのように一見それは分かりにくい。いま義満が求めているのは勝者の花です。しかし義満の目には入らない敗者たちの中にも花はある。

世の大多数は敗者で、あなたが知ろうとしない者たちにも花があると気付かせるための舞なのでしょうか?将軍を題目にした舞台で、しかもその人目の前にして諫めるようなことする?大丈夫?とヒヤヒヤしてますが、それにとどまらないことを期待して待ちたいと思います。

 

卒都婆小町、小野小町が題材ということだけなんとなく知っていたのですが、なぜこれを選んだのか最初はまったく分かりませんでした。世阿弥が改作したことも調べて初めて知りました。

どうして卒都婆小町でなければならなかったか、なぜ改作せずにはいられなかったのか。まだ肝心の後半がこれからなので鬼夜叉の狙いすべては分かりませんが、ここまでの繋がりだけでも「うわうわうわ…!」と声が出るくらい興奮してしまった…すごい。

 

第三十二話 アウターヘブン

 橋!確かに境界を越える、相反する両岸に立つ者にしかできない役割だ。一方的に感じさせるというレベルを超え、観客がその人生で抱いた感情を引き出し願いを繋ぐ。想像よりずっと大きいスケールになった鬼夜叉の舞に身が震えるようでした。


そしてそれをまた将軍に橋渡しする。届いてほしいと。同時に、将軍なのだから皆の想いを受け止めるべきだ、あなたにはその度量があるのか、将軍にふさわしいのかと問いかけるような舞でもあります。

幻のような舞台と、現実的でしたたかなかけひき、この両面を感じさせられるところも面白かったです。なかばそうせざるを得ない状況を作り上げられたと認識しても、受け入れる義満の器の大きさも今後に希望が持ててよかった。

 

獅子舞では鬼夜叉個人は新たな段階に行くことができました。舞は一部の人には刺さったけれども、自分が中心の、自分勝手な舞だったと思います。「気持ちいい」というのはあくまで自分だけが気持ちよかったのではないかと。

対して今回の「心地いい」は受動的な印象を受けます。女であり男であり…と両岸に立つ者を演じる鬼夜叉は自分をそこに溶け込ませている。煙が立ち込める幻のような舞台で、見る人がいかようにも投影できる巫女のような存在に感じました。

自分でない何者かをその身に降ろし、メッセンジャーとなる。人々の祈りを託され舞って神へ捧げる。自分を消し他者の想いを受け入れることで生死をも越えた繋がりを感じられたことが、あの安心感を生み出したのではないのでしょうか。

 

動機となったのは徳さんと出会って生まれた鬼夜叉個人の想いですが、自分ではない誰かの想いを背負ったことで彼の舞が広がったように見えました。

煙幕の演出は白拍子を悼んで舞った時の朝霧や徳さんの湯起請といった、鬼夜叉が経験した死の場面に共通するイメージを思い起こさせます。鬼夜叉の影が煙の中で幾人もの影のように見える演出は、彼個人の思い出が深いところで他の人と繋がっていくように見えて、すばらしかったです。

 

第三十三話 自負

 鬼夜叉の舞台に亡き母を見てからの敗北宣言。きっと打ちのめされているのだろうと思っていました。しかし表情から感じたのはこのままでは終われないというような、先へ進む意思。すごいな、クールなエースの印象が塗り替えられていく…

目を剥いて鼻の付け根にしわを寄せた、内に何かを煮えたぎらせていると伝わってくる表情。あごに汗を滴らせているのは、自分に対する怒りからか、焦りからか。将軍の命令に反する恐怖かもしれません。

無礼だとしても、足りないことを自覚しているのに舞うことはできないと判断したんですね。確かに「自負」だ。自分はエースだから、いつでもふさわしい舞をしなければならないと。熱いな…過去編といい、増次郎にどんどん血が通っていくようです。

 

そんな増次郎を理解し新座の仲間との間を取り持ってくれる猪丸がまたいいですよね。新座側の悔しさも汲み取ってくれたり、泣く仲間の背に手を当ててたり、こういう細やかさが増次郎を孤立させなかったんだろうなと想像できます。


増次郎の行為に対して鬼夜叉の意見を聞き「敗者への慈悲」を導き出せる将軍。やっぱり相当頭が切れる人だ、と思うと同時に、理屈で分かってるだけで心からそう思ってるんじゃなさそうなのが気にかかりました。

生まれた時から上に立つ人間だったんだから、理屈で分かれば十分なのかもしれませんが、それ止まりだとのちのち決定的な溝にならないかな…


コガネの視線が痛い…徳さんのことは本人が納得ずくだったし鬼夜叉の舞も彼の思いを受け取ったすばらしいものだったと私は思うのだけど、それでもまだこぼれるものがあると描くんだな…それも含めてすくい取る道があるんだろうか。このまますれ違うのは寂しいです。

 

第三十四話 なりたいけれどたりないな

 義満、自分にとっては統治に役立つかどうかが基準だと言いつつも、民や鬼夜叉が芸術に求めるところを理解してないわけじゃないんですよね。むしろそれを利用して取り込もうとする鋭さがかっこいいんだけど、やっぱりどこか怖い。

ほれ込んで後押しするのではなく、実利だけを求めて投資するのでもなく、自分には理解できない感性で求められるものがあると冷静に分析し広めていくタイプ、私のこれまでのパトロンイメージになくて面白いです。

これまでの感想で何度か「すれ違いが怖い」と書いていますが、共感できなくても「これがいいと思う人もいる」と許容して共に歩めるならばそれでいいと思ってます。それでも「出来レース」まではいかなくても審判が事前に情報を流すような行為にはやはりギョッとします。

義満はそれが可能な頭のよさと度量がある人ですが、鬼夜叉と立場が対等ではないのだとことあるごとに冷たい刃を突きつけられるようで。政治と芸術は違う方向で民と関わるものだけど、やはり権力者に背けば存続は難しい。特にこの時代なら。

 

しかし同時にいまだ不安定な権力しか持たず、ゆらいでいる途中ということも描かれ続けているので、そこにお互いが望む形での共存の道があるのかな、あってほしいなと思います。

 

第三十六話 道があるなら

 うらやましいと思ってしまった。勝負と名がついた時点で私にはもうそれは敵味方に分かれるものとしか考えられなかった。よい舞台を作るという芸人の本分に向き合った結果、軽々と敵味方の境界も飛び越えてしまった若者たちがまぶしい。

 

前回はあっちもこっちも闇で、鬼夜叉なんとかしてー!と思ったら川にグリンッのゾンッだったので…そこから一気に思いもよらない道が開けたので、なおさらまばゆく感じました。
鬼夜叉はともかく、増次郎がこの答えに至ったというのが驚きで。

偉そうでいけすかないけど、人一倍努力してるライバル、みたいな立ち位置じゃないですか増次郎って。舞勝負にも真剣に取り組んでいるのは疑う余地もなかったですが、「勝負」に取り組んでいるものと思い込んでしまったんですよね。

これまでですでに舞と境界を越えることの繋がりが描かれてきた鬼夜叉とは違い、ただ真剣に「舞」に取り組んできた増次郎からもこの答えが出てきたことがうれしい。

立場は違っても舞に真摯であれば同じ答えに至ることができるというのは、主人公だけを特別に持ち上げるのではなく、舞そのものが持つ可能性や豊かさに気付かせる方に読者を連れて行ってくれたと思います。

(なんとなくだけど、三原先生の作品には題材が導いてくれる豊かな世界への賛美が根底にあるように感じます)

 

一方でコガネはどんどん辛い方向へ…彼をさらに闇に沈めたやりとりで名前の「黄金」が強調されてるのがきつい。いっこもキラキラしたところないよー!コガネの光はまだ眠っていると期待して待ちたいです…

 

第三十七話 変わる

 怖…!!たとえ日の下でもコガネの舞は恐ろしいだろうと思わせる絵の力がすごい。最後、伸ばした手は白拍子が求めた花を思い出させます。この舞も言葉にならない叫びの表れだろうけど、これを「よい」と言えるんだろうか…

戸惑うのはちぐはぐだから。ひょうきんな面をつけて跳ね回るように舞っているけど、これコガネの精神状態とは逆じゃないですか。楽しげになるはずなのに、暗闇の中で舞われている。彼が舞いたいと思う舞ではなく、追い詰められて至った境地だからでしょうか。

筋張ったところが強調された体は痛々しく、攻撃的な印象を感じます。上半身をあらわにした格好は雨に濡れた鬼夜叉や増次郎と同じだけれど、二人が成長途上のみずみずしさにあふれていたぶん、まるで枯れ木のように見えます。

丸々としてお金持ちっぽい回想の父親との対比がまたきつい…

田楽の未来のために自分が変わろうとする増次郎たちと世界に絶望し世界を変えようとするコガネ。増次郎のほうが建設的だし、ゆくゆくはそれが世界を変えることにも繋がるのでしょうが、だからといってコガネが駄目だと決めつけるような作品ではないはずです。

たとえ今は復讐のつもりだったとしても、その始めに舞を選んだことがまた鬼夜叉たちや世界と良い形で繋がる道になってほしいと思います。

 

しかし猪丸の信頼とサポート力はホレますね…前回、失敗したら増次郎を切ればいいと言っていましたが、もしそうなったとしても自分も一緒に切られるつもりだったでしょこの人。ただ支えるだけじゃなくて時々スパルタなのがいい。
「性格に難があってな」「知ってる」ここ正直で笑った。