さわやかサバイバー

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バットマン:エゴ

先日公開された映画のインスパイア元でもあるコミック『バットマン:エゴ』を読みました。
名作との評判は聞いていましたが、本当にひとコマひとコマ「いい…」って言い続けましたよ…

 

続きからネタバレ感想

 まず同業者アマンダ・コナーから作者ダーウィン・クックに宛てられたイントロダクションがいい。
絵がアニメーション的すぎると指摘され、作風を変えた彼女の目の前にめちゃくちゃ上手いアニメーション的絵柄のクックが現れて思わず叫んだとかキレたとか、あけすけに書かれていて笑ってしまいました。
同時に技術や人柄がいかに素晴らしかったかも語られており、親しみと敬意に満ちた名文でした。

 

表題作バットマン:エゴは

裏切りが発覚し、逃走するジョーカーの手下。
追い詰めたバットマンの前で彼はジョーカーの報復を恐れ自ら妻子を殺したと告白し、自殺してしまう。
深く傷ついたバットマンの精神は「ブルース・ウェイン」と「バットマン」に分裂し…

というストーリー。

 

分裂した二人の対話という形で話は進んでいきます。「バットマン」はブルース・ウェインの中でどうやって生まれ、育っていったか。何をなしてきたか、どんな挫折があったか。
決定的なのはやはり両親が殺された事件なのですが、その前の幸せな子供時代が原点と描かれているところが好きです。

ある日、医師である父親の仕事についていった幼いブルースは患者の死を通じ、両親がいつか死んでしまう恐怖を感じ始めます。いまが幸せで愛する家族が大切だからこそ、失う時が恐ろしい。死の恐怖を感じ始めたブルースにとって、命を救う父はさらに尊敬すべき人になっていったのではないでしょうか。


今回目の前で自殺した男とその家族の悲劇はブルースのリフレインであり、しかもそれに間接的に自分が関わっていたことで幾重にも彼を苦しめたのだとわかります。

しかし子供時代の温かな記憶があったからこそ、彼は最後にそれをよりどころにし、帰ってくることができたのだと思います。奪われたことへの復讐ではなく、守るための活動の原点として。他の人を自分と同じような目に遭わせないために。
「過去は変えられない。決して自分の手には入らない他人の幸福を守って戦うのみだ」
切ないけれども、バットマンの気高さを表す台詞で胸に刺さりました。

 


最初、表紙を見た時はシンプルな絵だな、ぐらいにしか思いませんでした。本編読んだらこれが漫画として上手いのなんの。恐怖のシンボルであるバットマンの誇張されたデザインも、悪魔のような目や歯や手も、のしかかってくるようなシルエットも全部カッコいい。なにより「そうでなければ」と感じられる説得力のあるデザインなんですよね。

場面展開のアイデア、揺らぐ心理を読者にも味わわせる間の取り方、ここぞという時の大ゴマ。自問自答という、言ってしまえば地味な設定にもかかわらず、最初から最後まで緊張感をもって感情のドラマに揺さぶられました。
特に40ページの、それぞれのコマは別場面の絵でありながら、繋がるとページいっぱいに広がるバットマンのシルエットが浮かび出てくる仕掛けはぜひ見てほしいです。

 


翻訳もすばらしかったです。
「私たちは復讐の牙となり、鮫のように進み続けた 彼らの魂よりも暗い姿で」
などは詩的でしびれました。
海外の作品は古典文学を引用することも多いから、これも元ネタがあるのかな?と思うくらいで。でも解説にも特に言及はなかったので、冴えまくった原作と翻訳の組み合わせ技なんでしょうね。

 

翻訳が叶ったきっかけは映画の公開かもしれませんが、この作品そのものに出会える機会ができてよかったと思うような名作でした。