さわやかサバイバー

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ワールド イズ ダンシング 第5巻感想

少年期の世阿弥を描く漫画、ワールド イズ ダンシング(三原和人 講談社)第5巻の感想です。

 

続きからネタバレ感想

 

第三十八話 職能田楽集団

 競い合う相手と一緒に舞うなんて提案をどう納得させるのかと思ったら、増次郎の覚悟一発であっという間だったの、上手いなあ…!増次郎が普段からどれだけストイックであるのかも、その姿勢が団員から尊敬されているのかも伝わってきます。

他ならない彼がよい舞台のために誇りが邪魔だというなら、自分がこだわっている場合じゃないと。態度は大きいけど、努力に裏打ちされてるから団員を引っ張っていけたんでしょうね。

ずっと鬼夜叉の舞台を手伝ってた人が歓迎してくれてるの、うれしいですね。
ところで義満と一緒に居たり鬼夜叉の耳かきしてた女性、御台様だったの!?身分のわりにフットワークの軽い夫婦だな!お互いあんな感じなら仲良さそう。

 

能にもそのルーツにも詳しくないので今回の田楽と猿楽の解説はありがたかったです。
やっぱり伝統芸能の話で越えるべき父親が当時の最先端を切り開いた人である、というのは面白いなあ。自分より革新者であれ、と背中を押された鬼夜叉は何をどう新しくしていくんだろうか。

今回汐汲に感じた「もの足りなさ」はきっかけのひとつになるんでしょうか。ビリビリ感じてたから、引きつけられるところもあったんですよね?それも伝えないと増次郎が怖いぞ!

 

第三十九話 鳰の海

 やばいファンだ…!
実はすごい人なのでは的ヒントがばらまかれていたので調べたら、やはりすごい人のようです。なのに自己紹介で社会的地位をひけらかさないのはファンの鑑…いや行動がアウトだわ。
あれを改作に活かせるのはさすが…さすが?

この推しにしてこのファンあり、な浮世ばなれした領域が発生してましたね…
増次郎や猪丸の反応が普通だよ。年齢あまり変わらないのにお兄さんを通り越して保護者になってる猪丸に和みました。いい人だ…

 

第四十話 改作

 これは打ちのめされる…競争相手と思っていたのに相手はすでに親の世代から革新のスタートを切っていたんだから。増次郎の痛みが伝わって、はるか昔の話のはずなのに、潮目が変わる瞬間に居合わせているような臨場感です。

意識の置き場所が手前か目指す場所だけで変わってくるのだ、と気付かせるのが増次郎の側なのもなんだか皮肉です。観阿弥は自分の代だけではなく、その先も見据えて行動していた…

 

まだよく分かってないんですが、心情を反映する情景、心のありようによって見え方が変わる世界を歌で表して取り込もうということでしょうか?もみじの色が深まるのと恋心がシンクロするように、世界の見え方から心情を伝える、というような。

空想の汐汲の世界に歌を書き入れることで世界を彩るものが増えていく表現がファンタジックで楽しかったです。あと、正しい道を歩んでいるか?と悩む増次郎の場面のように、ひとつの絵を分割したコマで表す演出もカメラをパンしているみたいで面白いですね。

 

第四十一話 目睫

 現代の私たちはそれぞれの芸能の隆盛も衰退も知っている。どちらの人も旧いまま生き残るより新たな舞台を作り出す道を選んだのだ、と描くところが好きです。敗者とされる人をすくい上げるのがこの作品であり舞なんだものな…

まさしくジュブナイルなんですよね。若者が切磋琢磨し、いままでにないものを作り出そうとする話。猪丸だけでなく、これまで敵対心をあらわにしてきた田楽真座のメンバーでさえ、よい舞台ができる可能性を見て一体となって成功させようとしている。

決して何かが消えるという話ではない。これからの流れを知っていてその分岐点を描く時にこんな描きかたができるんだと驚きました。切なさや痛みはあるけれども、前向きだ。鬼夜叉と増次郎両脇に抱えている猪丸の絵がかわいい。フフフお父さん…

 

有名な「秘すれば花」に連なる考えが鬼夜叉の口から出たのにも「おお!」となりました。その媒体にしかできない表現で伝える、伝わるよう努力し技術を高める。これ舞にかぎらずどんな芸術でも当てはまることですね。

 

増次郎が鬼夜叉の役者としての力不足を指摘しないのはなぜだろう。卒都婆小町の時のような、本番での力を信じているから?でも鬼夜叉本人が「たまたま」と言っていたし、そういうこと当てにする増次郎とも思えないんですが…

 

第四十二話 汐汲1

 競い合う同士が同じ舞台に上がる前代未聞の舞比べ、いよいよ本番。互いに触発されボルテージを上げていく中で、増次郎が月を見せれば鬼夜叉が松を見せ、観客席に夜の浜が立ち上っていく様子にゾクゾクしました…!

増次郎と鬼夜叉のファン層が全然違うのが楽しい。翁のときの手のひらクルクル二人組がいたのもうれしかったですね。どっぷりファンになってるうえに古参面してるし。


増次郎が鬼夜叉の力不足を指摘しなかったのは、それを自覚していながらも、いまここでの自分を舞台でさらしてきた鬼夜叉の姿勢に感じ入ったからなんですね。

舞に限らず表現する人間に響く言葉が次々出てきますよワールドイズダンシング…プロじゃなくたって自分が下手なのはわかっていて人目にさらすのは恥ずかしくて避けたくなります。でも良いものを作りたい、そのために自分の力を伸ばしたいと思うなら表に出して研鑽していくしかないんだ…

 

第四十三話 汐汲2

 最初から多くの人に届く舞ができたわけでも、自分だけの表現を突き詰めたのでもなく、孤独な少年が想いを表そうとした舞が身分も年齢も違う人たちへ広く深く届くものへと繋がった、というのが好きだなあ。

遠く離れた時代や国の物語でも心が揺さぶられるのは私の中の同じ感情を呼び起こされるから。多くの人に届けるためにはまず自分の心の奥底にあるものを表現する方法を知っておく必要がある。鬼夜叉のスタートはまさにそこで、しかも言葉によらないものだった。

だから歌で物語の風情に引き込みつつ、想いは言葉に乗せなくても(=秘めても)伝えられたのではないでしょうか。

 

鬼夜叉と増次郎がともに稽古では見せなかったほどの力を出し、とまどいながらもついて行こうとする座のメンバーの後押しでどんどん盛り上がっていく様子はライブ感ありました。

縦に区切られたコマが並ぶクライマックスは横幅の狭いなかでアップが並ぶ緊迫感とともに、その場の全員で盛り上げているような迫力で。これがあるから見開きの浜辺の静かな美しさと、終わった後の舞台の寂しさがまた際立ってました。

変形コマとか大仰な構図がないから目立たないかもしれないけど、細かくコマ割る時も詰め込んでいるとは感じさせないし、ここぞという時の見開きや大ゴマの使いかたは迫力あるし、コマ割りが上手い…コマ割りも上手い…

 

見ている最中の反応はなかなかよかったと思うのですが、「鬼夜叉を勝たせる」と言った手前、共演を義満がどう判断するのかドキドキです。舞台自体は大成功だったので、政治的判断で微妙な後味にならなければよいのですが…

 

第四十四話 汐汲3

 以前の空気を読んだだけの「感動したっ!!」とは違い、義満が心から民衆とともに余韻を味わっているとわかるのがうれしいですね。視線の先には素朴な野の花。花の御所の満開の花とは違うけれどもそのよさを感じている。こういう演出ホントいい…

「世の価値は勝敗ばかりではないのだな」の言葉とも繋がっているように見えます。価値観の変化…新しい価値観を知りつつあるというか。満開の花でなくてもいい。勝つことだけが人の心を掴むのではない、と。

これまでの中で一番長いエピソードとなった舞対決編で鬼夜叉と増次郎だけでなく、義満の変化も見どころでした。芸術を利用する為政者という部分は確かにありますが、それだけではない。

芸術がわかるとは言えないが民に必要なことはわかる、というスタンスから始まったけれども、舞対決を通して彼自身もよさを理解してきていますよね。そのうえで政治に使うという部分は変わらないので、バランスがどう転ぶかわからない危うさが継続して目が離せません。

鬼夜叉たちの舞とともによい変化をしていってほしいな…と思ったところで衝撃の展開が!まず二人とも無事でいて…これをきっかけに輪の外の者への理解が深まるのかも、というのは希望的観測すぎるでしょうか。逆に切り捨てる方向にいく可能性もじゅうぶんありますよね…

 

細川解説員は今回も絶好調でした。野の花を見る義満や星を見る観客の様子でこれまで気付かなかった風情が沁みてしまうような余韻は伝わってくるのですが、「余韻すらの新しさよ!」とビシッとまとめてもらえるとやっぱり締まりますね。

 

第四十五話 黄金

 舞うことで世界が違って見える、そのことは鬼夜叉と同じなのに、コガネは闇の中でしか自分を解放できず、自ら忘れてくれと告げたのが悲しくて仕方がない。最後の言葉はそう言われても覚えておこうとする鬼夜叉の決意なのでしょうか。

また枠の外にいる人がつまはじきにされ、忘れ去られるようなことが起こってしまった。そんな世の中を変えたくて舞ったのに、むしろそれが引き金になってコガネはそうなってしまった。これはきつい…

 

そうなのかなとは思っていたんですが、コガネの面はやっぱりひょっとこなんですね(「前回まで」より)「火男」がなまったとも言われているひょっとこ、直接火に焼かれたわけではないけど、火が起こす煮えたぎった湯で死んだ徳さんの姿を思い起こさせる意図もあったのかな…

忘れてくれとは言ったけど、たとえどんな形でも徳さんのことを紡いでいきたかったのではないかと想像してしまいます。

 

「みんな自分勝手なのだから」には、コガネが自ら命を捨てるような行為に走ってしまったことや、そんなコガネをあっさり切り捨てる世の仕組みに腹立ちながら「それでも自分は」という抗いの意志も感じます。

軽々しく「立ち直ってほしい」と言えない状況ですが、その意志を信じて待ちたいと思います。

 

第四十六話 旬

 予想外の周囲の反応にとまどう鬼夜叉。まるでビームのような視線の演出が気になります。最初の舞対決で負けた後も視線を気にしていましたが、そう感じる時の答えはこれから出るんでしょうか。
居場所がないと感じる時…?

敗北感と身の丈に合わない賞賛の中という違いはありますが、どちらもいたたまれないと感じている時に視線を気にしているようです。周囲が思う鬼夜叉とと自分自身で思う姿にギャップがある時ということでしょうか。

 

それを嗅ぎつける再登場のやばいファン!あいかわらず言動がやばい!彷徨と芳香をかけてるような言い回しも絶妙に気色が悪い!だけど鬼夜叉がコントロールできない変化の過程にあることも、それが避けられないことも当たっているんですよね。鋭い…

旬という言葉自体は最良の時を意味するものだと思うんですが、コントロールできない変化は鬼夜叉が求める心と身体、あるいは世界と自分との調和を乱すものでもあるんですね。そこで以前鬼夜叉に自然な動き方「能き」について教えた犬王再登場という流れは盛り上がるなー!

また調和のすべを教えてくれることになるんでしょうか?

 

増次郎と猪丸が去ることは寂しく、しかしそう決めた理由の重さはわかるし仕方ない…としんみりしていたのですが、鬼夜叉の反応が「仲のいい友達が引っ越してすねる子供」みたいでほほえんでしまいました。

出会った頃はこんな関係になれるとは思わなかったですよね。一座の他のメンバーともだいぶ気安くなってるし。ずっとサポートしてきてくれた人が励ましてくれてるのがうれしい。

 

第四十七話 花と黄金

 義満と鬼夜叉の関係が「芸術を政治に利用するつもりのパトロンと純粋に道を究める芸人」という単純なものではなく、互いのフィールドを理解し足りない部分を補いつつ目指すところが違う、近くて遠いからこそ生まれる緊張感はこの作品ならでは…!

共通する部分もあるがゆえに、いつまでよい関係でいられるのか不安が増していきます。最初から相容れないとハッキリわかっていればそんなこと思わずにすむのに。

将軍だから救える部分、芸術だから救える部分を理解し、自分ではできない範囲を相手に託し託されている今の状況はいい補完ができていると思うのですが、目指すところの違いが埋めようのない亀裂を生むのではないかという考えが頭から離れません。

 

そう思わせるのが義満の「夢の中に縛り付けておくような」というモノローグ。自分の中でもまだ整理しきれてないんですが、鬼夜叉の舞は世界、つまりいま自分が生きている現実とのよりよい繋がりかたを目指していると私は思っています。

義満の言いかたでは現実を忘れさせるものという印象を受けます。もちろんつらい現実をいっとき忘れることで再び現実を生きる気力を得る効能も芸術にはあります。だけどそこに浸りきりにさせて現実から目を逸らさせることとは違うと思います。

鬼夜叉がやろうとしているのは現実とリンクさせることではないでしょうか。言葉にできない感情や忘れられた人たちをこの世に表すこと。作りごとの中で完結させるものではない。

 

ふたりには傲慢とも言える願望があります。南北朝を統一し、日本全体の支配者を目指す義満。誰にでもよさが通じ、永劫に続く芸術を求める鬼夜叉。
これまで通用してきた枠の中では実現不可能な願望を持つふたりの熱量が同じ向きで合わさればとてつもないことができそうでワクワクするのも確かです。

 

これまでに見たことがないスリリングな関係に期待と不安を煽られてまくっているところに犬王参戦!でこれからどうなっちゃうの~!!が止まりません。
お父さん観阿弥と何があったのかも気になる…雰囲気ありすぎるんだもの犬王。「観」呼びは卑怯よ…